ハリーポッターに思うこと

 ハリーポッターってよくあんなに流行ったなと思うんだけど、

①そもそも人は子どもが苦難に耐える話が好き(おしんホームアローン

②冴えない男の子が異世界では大スター

③生まれつきの才能ですべてが許されている

みたいな、言い方は悪いけど「都合のいい」物語だったんだと感じている。

 特に③の項目に関しては、血統がよくないが努力家の優等生であるハーマイオニーも、家柄に関しては最高のマルフォイも、主人公の引き立て役として描かれている節があるわけで……。なんていうか、平凡な(あるいはちょっと劣等感を持っている)人が夢見ることを、全部、物語上で実現したようなところがある。

 「何もせずに認められたい」

 「何もせずに愛されたい」

 そういう願望が、人間にはあるんだろうなあ……『のだめカンタービレ』も人気だったけど、あれも才能ひとつで成り上がる側面が強かった。あるいは、空から降ってきた美少女が一方的に面白い日常を提供してくれたり。挙句の果てに恋愛したり。全部、相手からの働きかけで、あるいは才能で、自分以外の何かの力で。

 自分にもそういう要素があるから、まるで同族嫌悪みたいで苦々しい。面白いことなんて、自分の力で掴み取れ。誰かに楽しませてもらうなんて思うな。と自戒を込めて。

ベーシックインカム欲しい

bizacademy.nikkei.co.jp

 労働力と物を交換する……悪くない。ホームレスの人も、働いて食べ物を貰えるって環境が整えられれば、働くようになると思う。炊き出しみたいに無償じゃない、何かしら生産性のあることをして、対価として糧を得る、っていう。

 ベーシックインカムについて調べてたら「月に五万円を支給する」っていうのが一番現実的だという意見を目にして、それなら導入できるんじゃないかって安易に考えてる。てっきりベーシックインカムっていうのは、月に15万くらい支給する制度だと思って「働く必要ないやん」と考えてたんだけど、五万ならリアリティがある。くれ。

 それにしても、住宅にかかる費用をもっと引き下げることってできないかな。特に首都圏の家賃。いつだったか「家賃をタダにしろデモ」があったけど、住むところに金がかかるって発想自体が変なんだよなあ。土地で金を取ろうなんて、誰が最初に考えたんだろう。日本だったら、墾田永年私財法あたりからかな。そうか、お前のせいか。

 何が正しいか、よりも、それで生きやすい社会になるかどうか、のほうがよっぽど大事だ。その基準だけは譲らないで物事を考えたい。

ガラスの食器ほしいな

 富山ガラス工房にいる、鈴木亜紀子という工芸作家が気になってる。

 少し前に愛知県瀬戸市に行った。ここは瀬戸物の街、陶器と工芸にゆかりのある地なのであって、街中に陶器屋がある。日用品の陶器が、100円で投げ売りのように売られているのは、他の地域ではなかなかお目にかかれないんじゃないかと。

 ガラスと陶器にどんな関係があるか知らないが、陶器で培った技術がガラスにも応用できるのかもしれない。美術館の一角でガラス工芸品の展示会・即売会にお邪魔したら、さっき挙げた鈴木さんの作品が目に留まった。この人は金銀も上手に使うけど、一番好きなのは、淡い色を使った小さな皿。ガラスの軽い感じ、爽やかで透明度の高い感じがよく活かされていて。

 富山の工房まで行けばまた見られるのかしら。その時は買おうとまで思わなかったけど、いま見たらやっぱり欲しくなりそう。そうでなくても食器棚には全然ガラス製品がないから、気に入ったやつ、好きなものが、一品くらいほしいな。

 

※この人↓

作家紹介|視る。触れる。体験する。そうして、ガラスに逢う。富山ガラス工房

LGBTについて思うこと

 自分はひょっとしたら、周囲に合わせて異性愛者をしているんじゃないかって思う。世の中の大半の女性が、同じ女性を好きになる世の中だったら、それはそれで適応できたんじゃないか、いま自分が男性を好きになるタイプだって自称してるのは、それが世間でメジャーだからってだけなんじゃないか。

 性的マイノリティの人たちの気持ちは、正直よくわからない。とりあえずわかるのは、適応能力があまりないのかなってことだけ。でも、それだけで世間からつまはじきにされるんだとしたら、そんなことをする社会のほうがおかしい。人間らしさを許容してこその文明国家だろ。自然の中で他の生き物と生存競争してるわけじゃないんだから。

 ゲイとかレズとか面倒な呼び名を与えずに「男性を好きになる派」と「女性を好きになる派」に分けたら、もっと話はシンプルになるのに。そうしたら、私は「男性を好きになる派」として、今はゲイと呼ばれている人たちと同じ分類になる。自分の性別がどっちかっていうのは重要じゃない。女の人を性愛の対象にするか、男性を対象にするか、それとも両方を対象にするか。その三つがあるだけじゃないか。

言いにくいけど指摘してほしい

 生々しい?話で恐縮なんだけど、便秘だったかもしれない。「だった」と過去形なのは解消されたからだ。問題は体調じゃない。自分じゃ気づかない臭いのほうだ。腸が詰まると臭うらしいから、自分もそうだったかもと不安になる。ただ、確かめるすべがない。

 むかし便臭のする女の子がいて、たぶん彼女は便秘だったのだと思うし、誰もがその汚れたトイレのような臭いに気づいていたのだけど、誰も言い出せなかった。臭いとか鼻毛とか、そういうデリケートな話題は触れにくい。「くさいよ」とストレートに言ったら本人を傷つけそうだし、かと言ってオブラートに包むのも難しいし……

 鼻毛だったらまだ「鏡で鼻、見たほうがいいよ」とか言えるのかもしれないけど、匂いは指摘しにくい。周囲の人たちがお上品であればあるほど、誰もそれを指摘しないから、本人はずっと気づかないまま周囲に疎まれてしまう。こういうのってなんとかならないのか。

 匂い測定器とか、世の中にはもうあるんだろうか。でも数値で匂いを語られても、それが香水の香りなのか、便臭なのかで話は違ってくるし、そういう「匂いの質と度合い」を自力で判定できる世の中にならないかなあ。そうしたら皆、自分の体臭について不安にならず、他人に聞いて気を遣わせたりせずに生きていけるのに。

脱毛の話

 脱毛の経験がある人って、女性なら一定数いると思うんだけど、御多分にもれず私もその一人です。やったのは、腕と足が一回、VIOが一回。

 基本的には「なんで女ばっかり手入れを強いられるの?」という反抗的なスタンスだったんだけど、周囲の圧力に屈したのです。腕毛を放置していて、それを見た男子生徒にビクッとされたり、トイレで鏡に映った私の腕を見て、隣の女が「うわあ……」って顔してたり。

 脱毛するところによって、事情は色々と違う。業界最安値でレーザー脱毛をしたときは、もう本当に脱毛して終わり。他のサービスは一切なくて「ベッドに寝てください、脱毛器具当てます、終わりました、さようなら」みたいな。待合室なんかも全然きれいじゃなくて、とりあえず安ければいいだろって態度だった(※)。

 それに対して、キャンペーンの安い時期を使ってVIO脱毛したところは、部屋は綺麗だし、施術の前後にお茶は出るし、スタッフはしっかりしているし、文句なし。その代わり、正規料金のときは若干お高め。丁寧さ・プロの仕事が大事って人はこっちのほうが断然いいと思う。アフターケアもきちんとしてるし。(ちなみに「プ〇ート」)

 何事も経験だな、と思った。

 

※ 余談だけど、金がかかってない分スタッフの質も低くて、会計を担当した若い女は「端数を合わせる」という計算ができないらしく、会計の時に変な対応をされた。千円ぴったり戻ってくるように払おうとしたら「いいですか?(おかしいですよね?)それでいいですか?」と何回も確認されて、私がおかしいのかなと思って、出していたお金を引っ込めたら、じゃらじゃらと細かいお釣りが返ってきて、コンビニ以下だなと思った。

「家族する」って言い方に一票

 「家族」というなかなかに大きなテーマですが。

 『暮らしの手帖』の12‐1号(いま店頭に出回ってる巻)、アーサー・ビナードが寄稿してるんだけど、結構いいこと書いていたのでシェア。129頁です。

 (と言っても著作権侵害は嫌なので、気になるところだけ)

共同作業をすると、そこに「家族のつながり」が生まれます。(中略)ひとりでできないことを一緒にする場と時間が家族なんだ、と思うようになりました。「である」というより、「する」ものだ、といった感覚です。

 「家族する」っておもしろい表現だけど、確かに家族って「一度作ったらそれで終わり」という固定的なものではなくて、常にその構成員が関わって作り上げていく、有機的な共同体なんだよね。

 もういっちょ引用。

日本では多くの家庭が「教育は国にお任せ」で、しかもその危険性を認識している人は少ないようです。本来はわが子が受けている教育内容を把握し、間違っていれば正し、必要があれば抵抗しなければならない。

 そうそう。

 例えば人間ピラミッドをやる体育の授業が話題になったとき「とんでもない!」って意見は聞いたけど、実際に子どもの学校がそれをやったから参加させなかった、とか、抗議した、っていう話は聞こえてこなかった。そういう人もいたのかもしれないけど、学校のやることだからっておとなしく子どもを従わせるような、大部分の親にも問題があるのでは。危ないと思ったら、ちゃんと抵抗せな。

 みんながみんな「おかしい」って思いながら存続していくシステムって、どうやって対抗したらいいんだろうな。抵抗するよりも、そんな世界を降りてしまうほうが楽だから、自殺する人も多いってそんな気がする。