耽美主義者大好き

 耽美主義の小説家は、もっと認められていいと思いますね。具体的に言えば、サマセット・モームオスカー・ワイルド。『月と六ペンス』は、芸術家がどんな種類の人間かを繊細に描写してあまりあるし、あらすじよりもその文章表現を楽しむものとして価値が高い。『ドリアン・グレイの肖像』は描写力では落ちるけど、その奇抜な発想と退廃的美に評価軸を置けば、なかなかの逸品。

 そんなこと言ったら読書家の人に怒られるのかしら。でも小説って自由に楽しむものだからね。そうしてさらに言えば、自分がどう受容したかが大事なのだものね。

 『月と六ペンス』は、人間はこういうものだ、って思わされる冷静な文章が多くて、芸術家の人生なんかよりそっちに感動。「婦人は、生活のために働いた過去などすっかり忘れている」――そうそう、過去を作り変えて自尊心を保つ、よくある話。でもそれをこんな風に言語化できるのが作家の面目躍如たるところで。

 ロマン主義も嫌いじゃないんですが。『椿姫』、いい作品だよね。文体も読みやすいし綺麗な愛の話なんだけど、私は、人間がちょっと崩れてる耽美主義のほうが性に合うらしい。今はサガンの『ブラームスはお好き』を読み終わって(嫌気も耽溺もなく、さらりと読める)次はプルースト失われた時を求めて』を読む予定。

ゆめゆめ思わない

 数日前に夢を見た。いつも穏やかで温かい上司から「君は振られたんだよ」という、冷たくてそっけないラインが来ていた。その後に、ずっと好きだった人に連絡先を聞いたら、そういうのはちょっと、と断られた。振られた、と思った。

 他人の話だったら、冷めて乾いた笑いをもらして終わりだったろうに、自分のことになると自己憐憫がはたらいて、悲しいけれど心地よい涙を流したりする。こっちをひどく傷つけるような拒絶をする人じゃなくてよかった、私が好きになった人がいい人でよかった、と思って、もうすっかり気分が回復している。変なの。

 夢のことは、何かの予言なんだろうなーと感じていたけど、まさかこうなるとは……。お見合いの話が持ち上がっていたから、てっきりそっちが流れるんだって勝手に信じてた。

 ということで、新年早々振られました、夢のお告げは甘く見ないほうがいいみたい。

コンビニの名札

 コンビニ店員が好き。

 店員の存在なんて日頃そんなに意識しないけど、それくらい彼らが気配消して働いていてくださるってことよね。尊いわー。

 ところで、最近ローソンの名札はフルネーム表記になったんですかね。新しく入ったらしきバイトの人たちの名札が「たなかあつし(仮名)」みたいに書かれているんですけど。前からいる人たちは相変わらず「田島」とか「大河」とかなのに。

 幸いにして、私の大のお気に入りの店員さんは苗字しか情報開示していないので、私はネットストーカーと化さなくて済む。いや、あんなの本当に名字だけでいいと思う。私をストーキングへと駆り立てる材料は少ないほうがいい。

 そして、名札についてる顔写真は、あれ何?その人の昔の顔、知る必要ある?必要ないなら止めてよくない?店員やってる側だって、そんなの付けて働きたいとは思ってないんじゃないかな……。必要ないものは、止めよう。

 調べたら「コンビニでバイトしてたけど、名札なんかつけなかったよ」という人もいるらしく、よく考えたらあれ自体いらないかなあ……。

表現することは晒すこと

 川谷絵音ってすごいな。「私以外、私じゃないの。当たり前だけどね」っていう歌詞、天才的に何も言ってない。何も心に来るものがない。

 なんかこう、チャラくて口のうまい人の典型っていう感じがする。薄っぺらいのに、なんかいい気分になるっていう。例えばRADWIMPSなんかの、語彙と単語数の多さとは、確実に一線を画している。

 書いたものや作ったものを誰かに見せるのは、それだけ相手に自分を晒すリスクを取ってるっていうことなんだよなあ。私見だけど、頭のいい(つまり優等生で秀才タイプの)人間は、表現者になんてならない。だって自分がどんな人間か、思った以上に作品の中に晒されてしまうものだから、見知らぬ人にそこまで自分を開示したりできないって思うのがまともな人だ。私がものを書いて暮らすのは、ちょっとアレな人間だからだ。

 誰であれ、普通に立っているだけでも、その雰囲気で「なんとなく頭よさそう」「暮らし向き悪そう」「優しくて好い人そう」「ヤバい世界の人かも」くらいの見当はつくわけで、目的を持って作ったものが、さらにその人の性格や知性を映し出してしまうのも無理もない話かなあと。

 そうして自分の文章を読み返せば、曖昧で冗長で、無責任で飽きっぽい感じがする。つまりそういうことなんだろうと思ってる。

それでも「かわいい」を支持する理由

 日本の「かわいい」っていう文化は、セクシー一辺倒よりは、はるかにマシだと思う。

 欧米のアイドルたちの「とりあえずセクシーならいいだろ」的な雑な売り方が嫌だ。知性のないセクシーは、なにか痛々しい。男のために体くねらせてます~みたいなのが透けて見えて、複雑に傷ついた気持ちになる。誰かを楽しませようとして悲しませるって、なんていうか、ずいぶん巧妙な傷つけ方だ。

 女性には、体を使う以外に魅力なんてないですねー、って言われてる気分なんだよ。なんで男性目線で踊っちゃうんだよ、っていう悲しさ。

 倖田來未が女性に支持されたのは、男の嫌う露骨なセクシーを堂々とやってみせたからだった。「エロかわいい」は「清楚エロ」とはまた訳が違う。万人受けしなくてもいいから好きなことやるんだっていう、あのエネルギーが好きだ。倖田來未の曲、全然しらないけど。

 ボディライン以外に魅力がないようなセクシーより「かわいい」の持つ複雑さのほうがずっといい。ずっと成熟していて文明的で、多様性に満ちている。

 もちろん、その言葉の持つ未熟さとか、非力さを売りにするようなところは全面支持はできないけど……繰り返す。「セクシー一辺倒よりは「かわいい」のほうがはるかにマシだ」

ハリーポッターに思うこと

 ハリーポッターってよくあんなに流行ったなと思うんだけど、

①そもそも人は子どもが苦難に耐える話が好き(おしんホームアローン

②冴えない男の子が異世界では大スター

③生まれつきの才能ですべてが許されている

みたいな、言い方は悪いけど「都合のいい」物語だったんだと感じている。

 特に③の項目に関しては、血統がよくないが努力家の優等生であるハーマイオニーも、家柄に関しては最高のマルフォイも、主人公の引き立て役として描かれている節があるわけで……。なんていうか、平凡な(あるいはちょっと劣等感を持っている)人が夢見ることを、全部、物語上で実現したようなところがある。

 「何もせずに認められたい」

 「何もせずに愛されたい」

 そういう願望が、人間にはあるんだろうなあ……『のだめカンタービレ』も人気だったけど、あれも才能ひとつで成り上がる側面が強かった。あるいは、空から降ってきた美少女が一方的に面白い日常を提供してくれたり。挙句の果てに恋愛したり。全部、相手からの働きかけで、あるいは才能で、自分以外の何かの力で。

 自分にもそういう要素があるから、まるで同族嫌悪みたいで苦々しい。面白いことなんて、自分の力で掴み取れ。誰かに楽しませてもらうなんて思うな。と自戒を込めて。

ベーシックインカム欲しい

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 労働力と物を交換する……悪くない。ホームレスの人も、働いて食べ物を貰えるって環境が整えられれば、働くようになると思う。炊き出しみたいに無償じゃない、何かしら生産性のあることをして、対価として糧を得る、っていう。

 ベーシックインカムについて調べてたら「月に五万円を支給する」っていうのが一番現実的だという意見を目にして、それなら導入できるんじゃないかって安易に考えてる。てっきりベーシックインカムっていうのは、月に15万くらい支給する制度だと思って「働く必要ないやん」と考えてたんだけど、五万ならリアリティがある。くれ。

 それにしても、住宅にかかる費用をもっと引き下げることってできないかな。特に首都圏の家賃。いつだったか「家賃をタダにしろデモ」があったけど、住むところに金がかかるって発想自体が変なんだよなあ。土地で金を取ろうなんて、誰が最初に考えたんだろう。日本だったら、墾田永年私財法あたりからかな。そうか、お前のせいか。

 何が正しいか、よりも、それで生きやすい社会になるかどうか、のほうがよっぽど大事だ。その基準だけは譲らないで物事を考えたい。