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もっと、聴覚に訴えるトイレ

 日本のトイレが独特なのは周知のことかと思います。多機能かつ親切な設計で、一体おしりビデなんて考えたのは誰なのか疑問に感じるくらい。でも、音をね、どうにかしてほしいの。音姫とかじゃなくて。

 例えば用を足している間、水音がするんだからそれを活かすことはできないのだろうか。壁に水琴窟みたいな素材を使って、壁に音が綺麗に反射して、すごく綺麗な音が個室に流れる……とかになれば音姫で隠す必要もないし、リラックス効果も見込めるのではないか。もっとも、小のほうの話ですし、個室がある場合に限るが。

 人間って変化を嫌う傾向にある生き物で、私も最近それを痛感したばかりなのだけれど、なんでもいい新しいものを、見下さずに馬鹿にせずに取り入れていく、そういう雰囲気さえあれば、日本からジョブス級の誰かが出る日だって遠くない。だってユニークな発想をする人ならいっぱいいるんだから。そういうわけで、無視されることを恐れず続けていきたい。あったらいいなシリーズ。

ホームレスが怖い

 ホームレスが怖い。道端にいていきなりワケのわからないことを叫んできたり、「見て見ぬふりするなよぉ」とクダを巻いていたり、とにかく「この人たちとまともに会話はできない」と思うようなことがよくある。ビッグイシュー(ホームレスが路上で売り、その売り上げが販売者の収入になる)の雑誌を持っていた男からは、通りすがりざまに「ええっ、買わないのかよ!」と言われて怖かった。

 貧しさってこういうことだ。衣食足りて礼節を知る、は嘘じゃない。「貧しい人がいる限り、私たちも豊かになってはならない」的なこと言う人、生活基盤が安定していない人たちが社会にかけている迷惑を見てから言ってください。普通に道を歩いていて、いきなり大の男に威嚇される怖さをわかってから言ってください。本当は「彼らも私たちも豊かになりましょう。そして人間らしい暮らしをみんなでしましょう」って言うべきなんだよ。

 豊かになれば、劇場に行ける、本が買える、高等教育が受けられる、美術品を買って家に飾り、靴職人に靴を作ってもらって、着心地のいい服を選んで着ることができる。そうして、それに関わる人々が潤っていく。文化っていうのは、そうして支えられていくんだ。日本国憲法は「健康で文化的な、最低限度の生活」を謳っている。であれば、それに反することを強いてくる奴は、国の方針に反しているのであって、非国民呼ばわりされたって仕方ないと思う。

フランス大統領、前哨戦

 フランス大統領選は五月七日、極右・国民戦線マリーヌ・ルペン超党派エマニュエル・マクロンの一騎打ちが決定。何人かの候補者で選挙を経た後、上位二名による決選で決まるというフランススタイル。マクロンは39歳と若いから、その経験の浅さは気になるけど、だからってルペンに流れるフランス国民でもないだろう。オランドの後はマクロンで決まりだ。

 というか、男性 対 女性っていう選挙構図、アメリカでも見たせいで何か流行りなのかと思うくらいだ。フランスって地味に女性蔑視の強いところってイメージがあるから、これだけでも男性であるマクロンが優位なんじゃないかって思うけど、それはわからない。フランス住んだことないし。残念なのは、最初は最有力候補だったフィヨンの失脚だ。家族の公金横領疑惑はほとんど晴らされたようなものなのに、勢いのついたルペンに抜かれた。

 なんにしろ七日が楽しみ。これでルペンが勝ったら、トランプ始め極右が政治界に揃うわけだ。彼女のコメントの中に「傲慢なエリートからフランスを解放するとき」がある以上、ターゲットは庶民層で、難民やエリートの無理解にうんざりしている普通の人たちが支持してるんだろう。エリートを嫌うのはいいけど、だからってポピュリストを支持していいわけじゃない。私はマクロンに賭ける。

いい国そうでない国

 「嫌い」っていうことと「だから排除したい」ってことは、まったく別物だと思うのだけど、なんで「気に入らない奴は消えろ」みたいな雰囲気なんでしょうか最近。

 海外の人たちって、感情表現が豊かでストレートで面倒くさくなくて、いいなって思う時ももちろんあるんだけど、「少しは他人に見られてること意識しろよ、だらしないな」って感じる時もあるから、日本と外とどっちがよくて悪いかなんて決着がつかない。自分にとって何が大事かによります、そんなの。

 わたしは「日本語が母語」「国籍が日本」「両親も日本人」という条件を満たした上で、日本はそこそこ暮らしやすいまあまあいい国だと考えているけど、この条件のどれかひとつでも違ったらキツいのかもしれない。言葉が通じなくて、国籍が外国で、両親のルーツが周りと違っていたら、違う見解を持つに決まってる。誰にとっていい国なのか、その基準がぶれると議論も成り立たない。

 とりあえず、基準を統一しようよって思う。最低賃金が高い国がいいのか、他民族を受け入れている国がいいのか、治安がいいのがいい国なのか、言論の自由が最も守られているのがいい国なのか。そのすべてなのか。ものさしがブレブレなところで議論したって仕方がないのに、この国を批判する人も称賛する人も、そのあたりがはっきりしない。私は、治安のよさを筆頭に掲げる。この点なら日本は最高レベル。問題は最低賃金かな。

デジタルフリー

 しばらくパソコンのない生活をしていた。ブログを書いていたら突然暗くなったので修理に持って行ったら、バックライトの故障ですと言われた。こういうことは、お金を払ってプロにやってもらうのが一番なので、そのまま任せた。

 最初に聞いたところでは「ウチでは直せないんですよ、部品の取り寄せになっちゃうんで……」と突き返されたけど、二度目にダメ元で訪問したところは「一週間くらいかかりますけどできますよー」と軽ーい返事だった。ついでに他の部分も手ェ入れといたんで、と言いつつ返してくれた。もう今度から何かあったら、全部この人たちに丸投げしようかしら。そうしたら日本も潤うってものよね。下手にケチって自分で何もかもやろうとしても、当然自力で出来る以上のことはできないけど、プロはその先のことができるわけで。

 それでしばらくデジタルフリーの生活をしていて、不便だったけどそれでも生活は回った。それにしても、通信機器は使えて当然って前提で回ってる世の中、怖いな。ちょっと何かが壊れたら、それですべてが終わりじゃん。

フェミニズム恨み言

 小・中学校時代って、わかりやすい贔屓をする先生がいたけど、その構造ってとっても勉強になる。嫌味じゃなくて本当に。一回の授業で手を挙げて指名される回数を、いちいち記録してたことがあるんだけど、こんな感じ。(当時中2)

 かわいい子…10回

 バカだけど頑張ってますアピールのうまいかわいい子…8回

 私…ゼロ

 一回の60分の授業で、こんだけ差があるんですよ。補足すると、私は上記の彼女たちより成績が良かった。しかし可愛げは皆無であった。この授業を担当していたのは男の先生だけど、女の先生でもだいたい統計結果は同じになった。

 要は私が引いた札は「勉強ができるブス」であり、当時はこれが最悪の肩書であることに気づかなかっただけだ。人間は有能なだけで十分だって本気で思ったし、フェミニズムにも傾倒してたから、かわいい女の子がチヤホヤされるのは、そこが未開の地である証拠だと信じていた。きっと、勉強ができる私のほうがはるかに愛され賞賛されて、認められる世界があるはず。ゲスで時代遅れなのは、私を認めない連中のほうだって。「女らしい」「かわいい」は、吐き気のするような媚びにしか見えなかった。それでズボンばかり履いて、わざとがさつな座り方をしたりした。

 でもよくよく考えてみたら、そういう人間って目障りでしかない。男でも、成績がいいだけでキモい奴はモテないのだ。それは社会が未開なんじゃなくて、そいつが単に気持ち悪いのである。

 今では、白い総レースのブラウスもピンクのリボン付フレアスカートも着られるようになって、職場でもそのほうが褒められる。あの頃、必死で有能であろうとしたときよりもずっと生きやすい。相変わらず、女らしい人ばかりが求められて、誰も仕事の能力なんて重視していないって気がしてなんだか疲弊する。

日本人は昔からこうだよ

 買おうか迷ったんだけどパオロ・マッツァリーノが解説と聞いて(帯を見て)購入。

『「月給100円サラリーマン」の時代 戦前日本の<普通>の生活』800円+税。

 

www.chikumashobo.co.jp

 HPを見たら「著作者について」のところが「写真は只今撮影中です」になってる。待ってます。

 

 近頃はベアーズとか、家事労働の代行会社が台頭するようになったけど、この本にも書かれてる通り昔は女中さんを置くのが普通だった。そういえば、うちのおばあちゃんも昔は雇ってたらしい。真面目に働かないし、時代もお手伝いさんを必要としなくなった(主に電気製品の普及)こともあって、私が生まれた頃にはもういなかったとか。

 おばあちゃん世代にこういったエピソードは多い。昔Aさんの家で働いていたというBさんが「今になってAさんと会うのは苦しい。昔はお嬢様なんて呼んでいたけど、彼女の家は落ちぶれたし、何を話していいかわからない。街でも避けて歩いてしまう」と、うちの祖母に愚痴っていた。微妙な関係だもの、買い物とかで顔を会わせるのも気まずいだろうなって想像はできる。

 詳しいことは本文に譲って解説を見ると、安定のパオロ節だった。

電車で化粧する女性の増加が最初に問題視されたのは、大正時代のことでした。ちかごろ、振り込め詐欺オレオレ詐欺のニュースを聞かない日はありませんけど、戦前昭和の詐欺被害認知件数は、いまの10倍以上もありました。

 人間っていうのは、世の中が変わってないことを認めたくないのだろうか。「昔はよかった」も「昔はもっとひどかった」も同じくらい嘘くさい発言に思える。だって、普通の人々が子孫を残せる程度には生活していけたからこそ、我々の世代が生きているわけで、食っていけないくらい苦しかったら、単純に生き残ってないよね。

 戦前は今をも上回る学歴社会だったってことを聞けば、今が平等みたいに聞こえるけど……教育ヒエラルキーが親の収入に依存することは今も変わらない。そして、いくら勉強だけできていい大学に入っても、教養のある文化的資本豊かな学生たちの中で浮いてしまう、とか、もう世の中どうやって生きていったらいいんだよね。

 「どうすればいいのか」の答えなんて誰も持っていないから、とりあえず死ぬとき後悔しないように生活するのがいいと思う。些細な不愉快を忘れる気晴らしの方法を持って、あまり真面目すぎずに、顰蹙を買うほどはっちゃけずに、淡々と淡々と淡々と好きなことだけするのだ。