ビジネス界隈のうるささ

 「社員のモチベーションを上げる」とか「人材不足」とかなんでもいいんですが……人を使うっていうことは、その人に対して責任が発生するっていうことなんだよ。即戦力とか言ってないで、育てることを考えて。今は恋愛・婚活市場ですら「完璧な男などいません。紳士的な男を夫にしたいと思うなら、あなたが彼にマナーを叩き込み、身だしなみに気を遣ってやり、紳士としての振る舞いを教えて育ててください」と言われる時代。

 働かせようと思うんだったら、働きたいと思うような環境づくりが必要なのです。単純な事実として。学生の頃にしていたバイトは、雇い主が大変よい方で、学校の予定が入ったときは快く休ませてくれるし、お給料はその都度きちんと支払われた。自営業だから「自分の名を冠して商売してる」という矜持がそうさせたのかもしれないけど、そういう人に雇われている以上、私も精神的に安定して仕事ができた。だから、とりあえず金。労働に対して支払うのは、やりがいとかではなく金。お金。

 冷たいことを言っているわけじゃない。貧しい人間は、他人に分け与えることができないのだから。好きな音楽家を支持することも、子どもによりよい教育を望むことも、お金があって成立する部分が大きいのだから。それは次の世代を支えるのだから。だから、人材が欲しいなら、手間暇かけて金かけて、育てるのが一番手っ取り早いし、それが「正解」だと私は思います。

鞄の中身

 みんな、鞄の中に何を入れているんだろう?本と書類、それから飲み物(水筒あるいはペットボトル)、ハンカチとティッシュ、それに定期券。あとは携帯/スマホと筆記用具、ノートパソコンやタブレット。そんなところだろうと思っていたけれど。

 男の子の場合は、かなりの確率でヘアワックスが入っているそうだ。「そうだ」というのは、人から聞いたことだから伝聞調になっている。ちなみにその人は接客業経験者で「財布とかバッグとか、見たくなくても見えちゃって」と笑っていた。女の子なら、ポーチ。そうか、世の中の人々は化粧品とかワックスを持ち歩いているんだ…

 お母さんたちなら、オムツや哺乳瓶を持ち歩いているんだろうか。どんな鞄にどうやって収納するんだろうか。母親に聞いたところでは「片手ですべてが済ませられるバッグは重宝する」とのことだけど、それは抱っこ派の意見であって、大抵のお母さんたちはベビーカーにぶら下げているんだろう。小さな子どものための酔い止め薬や、スポーツをする子のために応急処置グッズを持っているかもしれない。

 そんな風に考えていくと、世の中であんなに鞄が売られているわけもわかる気がする。

「おっぱいノート」について

 そういえば「おっぱいノート」っていう、おっぱいの写真が下地に使われている帳面があるらしいが、売れ行きはどうなんだろう?「世界一アイデアが生まれるノート」というコピーが正しいかどうかは、使った人を調査しないとわからないと思うんだけど、試作の段階でそういう結論が出たんだろうか。

 おっぱいを嫌いな人はいないと思う。赤ちゃんの頃には、誰もが触って安心したり母乳を飲んだりしたわけで。仮に哺乳瓶で育っていたにしても、あの柔らかい触り心地を嫌って言う人はいないんじゃないだろうか。その安心感が着想の源なのか。しかしアイデアを出すためにそのリラックス感が必要だというのであれば、実物を触るか、でなければ触覚に訴える、おっぱいらしき何かが必要なのではないか。写真だけでアイデア生まれるかなあ……。

 とはいえ、このノート、発想は素敵。なんにしろ、あの丸みを帯びた形といい、柔らかな感触といい、これぞ平和の象徴って言っていいくらいのボディパーツだから、いやらしさを排した状態で、もっと日常に溶け込んでくれたらいいのに。

 なにせ私は女性の体を綺麗なものだと思っていて、だからこそ商業的に卑俗的に利用されることは嫌だ。女の人の体は本来、もっと美しくて聖なるもので、性欲の処理に利用されるためにあるわけじゃない。性が聖と結びつく、その境地を忘れたらいけないと思う。

思い出に時空はない

 中学校の頃の嫌な記憶がいまだに蘇るというのに、もうあれから10年以上も経っているなんて信じられない。人の中身は時空を行ったり来たりするもので、誰しも子どもにかえったり、今に戻ってきたりして、精神なんてきっと、もともと不安定なものなのだと思う。

 小さい頃、なんでも器用にこなせる自分が憎かった。できない子は手取り足取り教えてもらえ、かわいがられるのに対して、私は「あの子は大丈夫」で済まされるばかりでなく、本来は大人がやるべき「できない子」の世話まで押し付けられた。そういう傾向は、結局中学まで続いた。頑張っているのに優秀なのに、思うように周囲に大事にされず、それどころか、報酬のない仕事だけが増えた。

 あのまま大きくなっていたら、今頃は過労死で死んでいるかもしれない。年上の女性たちが「なんでフワフワ~してるだけの女がチヤホヤされんのよ!あたしのほうが仕事できるのに!」と歯噛みしている気持ちもよくわかる。でも、私は成長が早かった分、そんな失敗は学生時代に終わっている。自己啓発とスピリチュアルにハマって、その無能さを思い知ったのも中学の頃だ。なんだったんだ、あの三年間。

 今でも許せないことはあるけれど、それがなければ今の平穏さもなかったかもしれない。そう思うと「仕方ないか」としぶしぶ受け入れる気になる。あの頃の悪人は、今も裁かれずに生きている。

シンデレラバストに思うことなど

 シンデレラバストっていう言葉を聞いたのはだいぶ前。AAA~Aカップ向けのかわいい下着?を指すらしく「男性目線で自分を見るのはもうやめよう。胸の小ささを気にしない、小振りなのは素敵なこと」というコンセプトだったかと思う。言われてみれば、胸が大きいことに価値を見出すのは男性寄りの視点だわな。スレンダーな体型は、それはそれでいいこと。

 豊胸手術をする人たちは、小振りな胸をコンプレックスに思ってするのだろうけど、それって本当に自分自身のコンプレックスなんだろうか。仮に「もうちょっと胸があれば、どんな服も綺麗に着こなせる!絶対に〇カップ欲しい!」と信じているのなら、その人は手術しても後悔しないだろう。でも、自分が思う架空の男性のフィルターを通して自分を見て「もうちょっと胸があったらモテる」と思うなら、それはやめたほうがいいんじゃないか。誰かわからない人に植え付けられた劣等感なんて、もともとなくてもいいもので、何かの拍子に消えるかもしれない。それよりも、男性は巨乳が好きと一括りにして考えることのほうが問題ではないのか。

 私も大きいほうではないから気持ちがわからないわけじゃないけど、自分の体を嫌って作り変え始めたらキリがないのだから、受け入れるほうがずっと楽だと思う。整形も豊胸も、したい人がするのはいい。でも、その裏にあるコンプレックスが自分から出たものなのか、他人に作られたのものなのかはちゃんとわかっていてほしい、と思う。

「非属」は本当に難しい

 山田玲司の『非属の才能』を学生の頃に読んで、ふーんそうかと思ったっきり放置していたのだけど。

 「どこにも属さない」は確かにひとつの才能だけど、とても苦しいし難しいと思う。「なんらかの組織に依存して生きていきたい」っていうのは、人間として自然な欲求だろうし、殴られても蹴られても、どこかに属しているほうが楽だと考える人たちがいるからこそ、組織内部のハラスメントってなくならない。自分一人で立つことは、響きはかっこいいけれど、実際とてもキツいことだ。

 どこかに属していれば、自分とその人たちとは仲間で、自分は異常じゃなくて、何かあっても不利益を被るのは自分だけじゃないから楽だ。「所属」という安定欲しさに、部活なり宗教法人なり、あるいは会社なりに寄生する人はきっと多い。ひきこもりで無職の人々ですら、ツイッターで誰かと繋がりを持ったり、コスプレイベントに参加して、似たような人々とつるんでいたりする。「非属」を貫けるのは、実際にひとつの才能なのだ。そして、その才能が報われるという保証はどこにもない。下手したら、孤独なままで一生を終えるかもしれない。

 それくらいなら、どこかに属して普通に結婚して、世間から後ろ指さされないように生きるのだってひとつの選択肢だ。本人が納得してさえいればね。一人で立てるのは才能だけど、一方では他者を必要としない、誰かと繋がりを持てないという諸刃の剣であって、それを称揚するのは危険なことだし、かえって人を誤った方向に導くこともあると感じてる。

身近な魔法使い

 美容師の腕がいい。鋏をスイスイと動かしただけで、はねていた癖毛が消える。髪を伸ばしていることを伝えると「長さは切りませんからー」と言って量だけ器用に取る。外観はほとんど変わらないのに、乾かすのが楽になって、傷んでいたところもハネも消える。モサモサしていたのが、綺麗なロングヘアになった。こういうのを見るたび、魔法使いみたいだと思う。私がいくらかの紙幣を渡されても、こんなことできないから。彼女にしてみれば、美容学校を出て淡々とキャリアを積み、仕事と向かい合ってきたに過ぎないのだろうけど、その結果は、素人から見ると奇跡みたいだ。

 靴を直してくれた人もそうだった。底が擦り減っても捨てるなと言われていたので、踵がなくなった時に持って行くと「一回、靴を分解します。底を張り替えますから」と言われた。修理費用が八千円ほどかかるんですが、と言われたけど、それを無料でやってもらう馬鹿がどこにいるのか。革靴の底を張り替えるなんて、素人に100万円渡したってできやしないのだから、一万円以下でそれができるなんてすごい。プロのする仕事はいつも魔法みたいだ。

 専門家が当たり前のことを当たり前にするだけで、それは魔法になる。私も魔法使いになりたい。