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創造性と教育の話

 湯川秀樹『創造的人間』を引き続き読んでいるけど、「日本の教育は独創性の発揮を促すようにはできてない(意訳)」という主張は当たっている。そりゃあ、口では「自分の頭で考える子どもを育てます」とか言っておきながら、実際には大人の望むようなことを、大人の望むタイミングで言ってくれる生徒を、いい子いい子しているだけだから、本当に独創性のある子は苦しむわな。「1+1は、なぜ2になるのですか?」と幼き日のエジソンみたいな発言をしたら、今なら下手したら病院に連れて行かれかねない。実際、そんなことを言ってカウンセリングを(強制的に)受けさせられたってケースもあったな。

 そういう教育体系が、一方では従順でよく働く人々を産み出したのだとしても、もう一方では深刻な人材流出を招いている。実力のある人は海外に行っちゃう、みたいな。今の教育制度の何が嫌いって「オレは昔ガマンした。だからお前もしろ」と意味不明な忍耐を強いてくるところにある。それで根性とか育つわけないでしょ。育つのは指導者への殺意のみ。人を教える立場にいる人間が、時代の移り変わりと危機感を有さない限り、教育現場は変わっていかないだろう。

 自分に何ができるのかはよくわからない。自分が強いられた我慢を年下にも押し付けたい、っていう酷な願望は、ひょっとしたら自分の中にもあるかもしれないから、余計なことは言えない。せいぜい、後輩の邪魔をしないように生きるだけ。

湯川秀樹『創造的人間』

 角川ソフィア新刊、湯川秀樹の『創造的人間』を買って読んでる。本屋で最前列に出していたけど、新刊だからなのか、それとも書店員さんのおすすめなのか、真相は不明だが残り一冊だった。きゃーラスイチ買っちゃった。

 物理学者のこの人は、しかし大変文章もうまい。美辞麗句を弄したりせず、文章の展開が滑らかで、本当に頭がいいんだなあ(ノーベル賞取るくらいだから当然なんだけど)と思ってしまった。「明確な論理」って文理を問わず大事なことだから、どこかの分野で成功している人は、誰でもある程度クリアーな文章が書けるものだけど、それにしても平易な言葉で、一般人を見下すニュアンスもなく、ここまで書けたら聖人レベルだよ。物理はさっぱりだけど、この方が別格なのはわかる。

 たとえば、この本の最初に収められた「第二の自然」は、「私は冬が好きである」と始まる。ふんふん、と思って読んでいると「冬が過ごしやすくなったのは、科学文明のおかげである(意訳)」と来る。次に「その代わりに自然と人間の間には隔たりができた」。ここまでで、起承転結の「転」までが綺麗に達成されていて、新聞の優れた社説でも読んでる気分になる。

 短いエッセイなので、残りはネタバレになるから省くが(値段は1000円+税です。よかったら読んでみてください)頭のいい人=クリアに物事が語れる人、っていう公式が成り立つことが、湯川秀樹によって私の中で証明されつつある。数学者の岡潔も美しく簡潔な文章を書く。書き手にとって必要なのは、時には文章力よりも数学的思考なのね。

悔しかったこと

 時々、思い出してしまう悔しい出来事もろもろ。

 大好きなお店に友達を連れて行ったら、彼女が食べログでその店を調べたこと。そうして「評価がすごい高い」と言った。ムカついた。もし評価が低かったら「この店、低評価だよ」とか言って、お店のことを貶めて、そこをチョイスした私の好みを暗に責めたに違いない。何よりも、自分の選んだものを疑われているようでカチンときた。こいつとは絶交した。

 催促しても、お金を返してもらえなかったこと。金額も小さかったし、たぶん舐められてたんだろうけど、いくらであろうが「返さない」というその単純な事実にイライラきた。それで「あの子に貸したら、返ってこない!ねえ、お金返してくれないんだけどどうしよう?」と言いふらして回った。周囲を抱き込まれてやっと、その人は、私に立て替えさせた150円を返してくれた。バーカ、と思った。それくらいなら150円、さっさと返せばよかったのに。今思えば、彼女の後輩にも泣きついて、外堀を完全に固めておくんだった。ケチと思われる方が、舐められるよりもマシ。

 馬鹿にされることが、自分は基本、嫌いなんだろうなと思う。見た目が穏やかとよく言われるけど、だからって下に見ていいわけじゃないでしょ。外見で人を差別する男が、私とだけ目を合わせないっていうケースもあったな。残念だけど、私は女たちからは重宝されてる。あいつ、いい顔して本当はヤリマン自慢の最低男なんだよ、不細工なのに生意気だよねって、噂を流したのは私です。早川君、ごめんさない。土曜日の夜なので、悔しさついでに懺悔します。

おからの使い勝手

 おからをご飯代わりに食べたわけですが。そのまま食べるとパサパサするけど、水分を含ませれば(お湯なり牛乳なり)ボリュームも出るし、まろやかになる。塩を振って食べれば、もう完全にお米の代わりになるから助かる。値段も100g50円とお手頃。

 産業廃棄物に指定されているおからだけれども、捨てるにはもったいないから豆腐屋さんも売ってくれるわけであって、最近はおからドーナツなんかも出ていますね。ミスタードーナツでも扱わないかなー、そしたら買うんだけど。ヘルシーだし、いいと思いません?

 糖質制限中の人も、ご飯を食べられないストレス(おかずだけじゃお腹がいっぱいにならない、とか。米以外でカバーすると食費がかさむ、とか)に対応するために、おからを食べたらいいと思う。コスパは悪くないですよー。

 そういえばミスドって、ミスター飲茶っていう中華料理も展開しているね。これは一時期、朝ご飯にするので通ってた。ラーメンのサイズがちょうどよかったって記憶があるんだけど、まだやってるんだ。そうそう、中華が手軽に食べられたらよいよね、立ち食いソバみたいにさ、街に屋台が出てたら、気負わずに行ける。座って食べるスタイルのお店って、入るのに少し勇気がいるから。

 今日はおからのほかに、豚肉を焼いて塩コショウを振り、輪切りにしたトマトをつけあわせるとおいしいわよ、と教えてもらった。パイナップルと豚肉は相性がいいから、缶詰でもいいから買っておいたら?って。今度やってみる。

みんなの妄想の中身をヒアリング その2

 「突拍子もないことを突然やってしまう」系の妄想は多かった。特に日頃おとなしい人が「何人かでお茶してる時、自分が急にコップをガチャン!ってしたらみんな驚くだろうな」とか「建物の中にある消火器を、思いっきりそこらへんにぶちまけてるとことか想像しちゃう」って人もいた。あるいは「全校集会で、周り皆静かにしてる時に、自分だけ意味不明なこと叫び始めたらどうしようって思ってた」と学生時代の記憶を語る人も。

 私の場合は、一時期「外に出たら横断歩道で転ぶんじゃないか……」と悩んで(?)いた。別にいいんだけど、なんか気になるんだよね。車とか通行人とかがいるところで、ずっこけるかもしれない…っていうの。その頃は生活が内にこもりがちだったから、外で起こる事態のあらゆることを想定して悶々としてた。外出が日常になってしまうと、そんなことないんだけどね。

 訪問してくる人っていうのも怖かった。これは仲間がいて、「居留守使ってるときに玄関をバンバン叩かれてホントに怖かった」「インターホン鳴らされても出たくなくて放置してたら、怒号が聞こえてきて怯えた」とか。よくわかる。相手がどんな人間かよくわからないときって、不気味な思いをするから。集合住宅に住んでいると、他の部屋の些細な物音や水音が、いちいち気になるっていうのもわかる。世の中の大勢の人に比べて、過度に敏感なんだろう。もっともそういう人間は、異変の察知も早いらしいから、仲間には気落ちしないでほしい。

フランスは19世紀が鉄板

 サティ、ドビュッシールノアール。19世紀末から20世紀初頭を生きた人たちですが、みんな好き。音楽と絵画というジャンルの違いを超えて、三人とも軽やかで仰々しくない、柔らかくて繊細な芸術を見せてくる。ばっさりくくると印象派。文学では、この頃にジュール・ルナールモーパッサンが登場している。この時期のフランス芸術界は、本当に豊作だよ。ちなみに生没年は

 サティ(Erik Satie)1866~1925

 ドビュッシーClaude Debussy)1862~1918

 ルノアール(Pierre Auguste Renoir)1841~1919

 ルナール(Jules Renard)1864~1910

 モーパッサン(長いので省略)1850~1893

 19世紀後半に集中しているのがわかる。

 この前哨戦として、文学ならヴィクトル・ユゴー(Victor-Marie Hugo, 1802~1885)の『レ・ミゼラブル』その他、絵画・音楽ならロマン主義があったわけで、天才を同時多発的に産みだすには、その土壌づくりが大事らしい。ここらへんは、もうちょっと勉強しないと。

そもそも動詞になっている

 comer…昼食を摂る(スペイン)

 philosophieren…哲学する(ドイツ)

 どっちも「それ一語で動詞にしちゃうか」って感じの単語だ。「ランチる」とか「哲(てつ)る」とかいうようなものでしょう、それ?なんというか、お国柄が出ているなあ。スペインの人にとって、朝・昼・晩のご飯は、しっかり区別する必要があるらしい。

 「朝食を食べる」ならdesayunar

 「夕飯を食べる」ならcenar

 日本語が「ご飯食べる」で済ませるところを、細かく分けないと気が済まないのね…。スペイン料理の店は多くないけれど、一回だけ行ったことがある。フランス料理よりもアットホームな雰囲気で、料理するお兄さんのガタイがとてもよかった。ドイツ料理の店は、すごく簡素で無駄がない。パンが、それを切ったまな板に乗ってそのまま出てくる。

 ヨーロッパをひとくくりにして考えるのって、やっぱ乱暴だわ。同じ白人でも全然違う、あの人たち。