夢想家メルシーベビーのブログ

相談所の語学オタク

「野菜とか切れるの?」切れたらいいよね。

アイフォンの売り場で、買う気もないのに「野菜とか切れるの?」と店員に聞いたおばあさんがいると聞いて、いやホント切れたらいいよねって思う。健康アプリとかいらないから、野菜が一気に切れるようなの開発して。キャベツをセットして、ボタン押したら千切りになって出てくるみたいなやつ。いろいろタイプが設定できて、ナスの縦切りもできたらいいし、どうせなら「オッケー、このトマトを全部半分に切って」「かしこまりました」とか会話によって指示を出したら、その通りにしてくれるのがいいよね。

贅沢したいなら外食すればいいんだから、いつもの料理の手間暇なんて、なかったらないだけ勝利だと思うの。もうあるいはこの際、具材を放り込んで料理名を指定すれば、作って出してくれるとかさ。肉とピーマンと諸々を入れて「チンジャオロース」って指定すれば、一定時間後に出来立てが出てくる。最高じゃない?

もっとも、普及させるには「手間暇かけた料理こそが愛情」っていう固定概念をどこかで打破する必要があるけど、うん、料理なんてね「その人に食べさせたい」と思って、綺麗にお皿に盛り付ければもうそれだけでいいの。だって、日常的に食べるものにどれだけの手間暇がかかってるかなんて、あんまり重要じゃないでしょ。

私なら、レトルトのお味噌汁でも、誰かがお椀によそってそこに置いてくれる、その一連の動作に愛情を感じますけどね。作ってる過程なんて、省けるだけ省いて、最後に皿に乗せて食卓に出す。ここだけあれば愛情は伝えられるよ、究極的には。

そういうわけで、野菜とか切れたらいいよね。

幸せの定義と食器を洗わなくて済むこと

すっごく当たり前のことを言うけど、人生ってどれだけハッピーになれるか、なのね。人によって幸福の定義は違うから、自分はどうしたら幸せなのかを知るためにいろんな体験をしてるんじゃないかって、そんな気もするね。

「気づけば何か探してる/幸せの定義とか、悲しみの置き場とか」by BUMP OF CHIKEN

いま考えてるのは、お金を使うことへの抵抗とか、罪悪感があるなあってこと。どうせなら気持ちよくハイッって出せればいい。

幼い頃はとにかく、家にはお金がないんだって思っていたから、欲しい物がわからなくなるくらい我慢を重ねた。服なんて着られればいいと思ってたし、安物でも使えるならよかったし、どんなにボロボロになっても、物を買い替えるなんて発想はなかった。そういうのは、小さい頃よりかずっとよくなってきたんだけど、まだまだ、綺麗な顔してエレガントに健やかにお支払いをする境地まではいかないなあ。

お金があったら何がしたい?って言われてもよくわからないけど、財布の中にもっと紙幣を入れていたいし、なんならデビットカードで満足いくまで買い物しても、残高に余裕のある生活がしたい。

嫌なことをやめていいって言われたら、炊事をやめたい。面倒だし時間を取るから。いや料理は好きなんだけど、洗い物にはうんざりするんだよね。食器洗濯機買おうかしら。あれはあれで場所を取るけど、うんざりしなくて済むようになる。

お皿にラップをかけるって手もあるけど、結局汚れて洗うことになったり……

あー、やっぱり拭くだけで綺麗になるシートが欲しいな。

『この春、とうに死んでるあなたを探して』

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昔の文学作品ばかり読んでいたから、最近の作家がどんな感じなのか全然知らなかった。本屋で手に取ったのは今月の「ちくま」で取り上げられている『この春、とうに死んでるあなたを探して』。書き手は榎田ユウリ。名前を聞くのも初めての作者だけど、買って読んでみたので感想文を書いておく。

売れている理由がわかるような読みやすい文章で、ストーリーもそつがない。文章を、小説を、書き慣れている人だと感じさせる力があった。素直にすごいなあ、と思う。いまの自分にそんなことはできそうにないから。

この人はボーイズラブ小説界隈から出てきたらしい(間違ってるかもしれない)けど、同性愛にこりかたまっている印象はない。むしろ、同性愛独特のタッチを期待してこの作品に近寄っても何も面白くないと思う。この作品は例えるなら、文字で作り込まれた一本の映画だった。

好きなのは(ネタバレにならないところだけ抜き書きするけど)最後の「長身をひょいっと屈ませ、こっちを覗き込んでそう言った」ってところ。すごく映像的な表現でしょ、目に見えるようなの。背の高い人が体を折って、相手の顔を覗き込むその光景が。

なんだかさらっとしすぎている雰囲気がないわけじゃないけど、継続して売れるだけの理由はちゃんとある。☆三つ。

 

P.S.

この本をコミックコーナーから取ってきてくれた書店員さん、本当にありがとう。どうして漫画のところにあったんですかね。小柄でテキパキした、素敵な店員さんだった。こういうことがあるから、書店で本を買うのもしれない。未だにアマゾンを使ったことのないメルシーベビーです。

この曲が好き~G.R.L. ugly heart~

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G.R.L.の曲、「アグリーハート」。歌詞がいい。

”なるほど、あんたの顔は綺麗だわ。まるで芸術作品”

それを男の子に対して歌う大胆不敵さが好き。私も一緒に歌いたい。

女性の外見をあしざまに言う綺麗な男に向かって歌いたい。

”それでも中身は最悪なんだから。パートナーがいないのは、そりゃあ少しは淋しいかもしれないけど、あんたがいない分、ぐっすり眠れる”

私たちはあなたと違って、外見だけの人間じゃないのよ!って、そんな調子も感じる歌。G.R.L.は女の子たちを元気づけるっていうコンセプトみたいだけど、この曲に関してはすごくいいと思う。やたらと男性をおとしめるのは好きじゃないけど、これくらいのことは言ってもいいよな、っていうところを綺麗に狙ってきてる。

日本勢にこういうタイプは少ないから、これも洋楽を聴く楽しみ。趣味は多いほうがいい。

ターナー展いってきた。

損保ジャパンの美術館で、ターナー展をやっているので見に行ってきました。

何年か前に、上野の美術館でもやってたけど、あのとき来てた大きい絵(タイトル失念。イタリアで描いたというバルコニーからの風景)は傑作だった。

今回は、展示場の都合もあってかスケッチが多く、作品も小振りなものが多い印象。

ターナーの作品って、光がすごく柔らかくて繊細で、それは本当に長所であり素晴らしい。のだけれど……いちまち迫力にかける人なのですよね……

それがどうしてか考えた結果「絵の構図が他人事っぽい」ことがひとつあるかなって。

常に「引き」の構図で描いているんですよ。精密な描写で、うまいんだけど感情がこもらない。いや感情はあるんだろうけど、生々しさがない。

嵐の中、漁に出て行く漁師たちの絵は本人、気に入ってたみたいだけど、どう見ても「自分は絶対にそんな境遇にはならない人間が、傍から見て描いた絵」であることがありありと伝わってくるわけ。実際に漁師たちに交じって間近で描いた絵ではなく、あくまでもその光景を「見ている」人の絵。

そのへんがどこか冷徹というか、現実味を欠いて見えるのだ、ターナーは。

同じフロアにセザンヌ静物画もあるけど、私はこっちのほうがずっといい。セザンヌの描くものは、どこにも冷淡さがなくて、生身の感情だけで描かれていると言っていいほど切迫している、ぎりぎりないい絵だと思う。こっちは常設なのでいつでも見られる。

というわけで、東京行くよ、とかいう方は是非。

お皿拭くだけキレイシートが欲しい

タイトルの通りだわ。

水を使わなくても、それ一枚でサッて拭くだけで、皿の汚れを落とすシートが欲しい。そう、メイク落としシートみたいな要領で。

洗剤のCMの「すすいだ瞬間キュキュッと落ちてる!」って、すごいようだけど水使ってるからね、それ。面倒だから。手が荒れるから。このCMも古いのかもしれないけど、おおむね食器用洗剤の広告ってこんなものだよね?最近テレビ見ないから知らない。

もちろん、食器洗濯機にお任せって家庭もあるだろうし、それはそれでいいんだけど、将来的に水が不要になる方向に向かってほしい。理由は水道代の節約。それだけ。

お皿キレイシート、家事で手が荒れる一番の原因の解消と節水とが同時にできて最高だと思う。

コンロや電子レンジのお掃除シートがあるのに、どうして食器にはないんだ。口に入っても大丈夫な成分使わなきゃならないからだろうけど、そこはオーガニック素材とかでクリアして。

さすがにカレーとかは拭けなくても、ご飯茶碗を綺麗にするくらいの力のあるものはできるんじゃないか。あと味噌汁の椀とか。その二皿が簡単に洗えるだけでも嬉しいわ。

芸術家たちには正直うんざり

芸術だって言いさえすれば、何をやっても許されるのか。アラーキーのモデルへのパワハラ事件にしろ、フランスの女性器露出の一件にしろ、「芸術」の名の下で行われた、単なる反道徳的行為って意味では一緒だ。

もともと絵画や彫刻は、神事に使われ、神に捧げられるためにあった。いずれそれぞれの分野の専門家が出てきてオーダーを受け付けるようになり(肖像画を描いてくれ、とか)そこからさらに時代を経て、芸術は完全に、芸術家を名乗る人間のおもちゃになった感がある。だってもう、誰に捧げる必要もないんだものね。単に芸術家が自分のためだけに作るスタイルが定着して、それがすごく神聖な行為みたいに言われている。ついでに大衆に受ければ儲かる、みたいな次元に落ちている。

目的を持たない行為が美しいっていうんだったら、世界で一番美しいのは子どもの遊びだ。おままごとも砂場遊びも、なんのためにするものでもない。単に遊んでいるだけだ。芸術のために芸術行為があり、それが尊いと言うのであれば、それで金儲けしようとか思うなよ、って少し冷ややかな気分になってる。