夢想家メルシーベビーのブログ

相談所の語学オタク

おからの使い勝手

 おからをご飯代わりに食べたわけですが。そのまま食べるとパサパサするけど、水分を含ませれば(お湯なり牛乳なり)ボリュームも出るし、まろやかになる。塩を振って食べれば、もう完全にお米の代わりになるから助かる。値段も100g50円とお手頃。

 産業廃棄物に指定されているおからだけれども、捨てるにはもったいないから豆腐屋さんも売ってくれるわけであって、最近はおからドーナツなんかも出ていますね。ミスタードーナツでも扱わないかなー、そしたら買うんだけど。ヘルシーだし、いいと思いません?

 糖質制限中の人も、ご飯を食べられないストレス(おかずだけじゃお腹がいっぱいにならない、とか。米以外でカバーすると食費がかさむ、とか)に対応するために、おからを食べたらいいと思う。コスパは悪くないですよー。

 そういえばミスドって、ミスター飲茶っていう中華料理も展開しているね。これは一時期、朝ご飯にするので通ってた。ラーメンのサイズがちょうどよかったって記憶があるんだけど、まだやってるんだ。そうそう、中華が手軽に食べられたらよいよね、立ち食いソバみたいにさ、街に屋台が出てたら、気負わずに行ける。座って食べるスタイルのお店って、入るのに少し勇気がいるから。

 今日はおからのほかに、豚肉を焼いて塩コショウを振り、輪切りにしたトマトをつけあわせるとおいしいわよ、と教えてもらった。パイナップルと豚肉は相性がいいから、缶詰でもいいから買っておいたら?って。今度やってみる。

みんなの妄想の中身をヒアリング その2

 「突拍子もないことを突然やってしまう」系の妄想は多かった。特に日頃おとなしい人が「何人かでお茶してる時、自分が急にコップをガチャン!ってしたらみんな驚くだろうな」とか「建物の中にある消火器を、思いっきりそこらへんにぶちまけてるとことか想像しちゃう」って人もいた。あるいは「全校集会で、周り皆静かにしてる時に、自分だけ意味不明なこと叫び始めたらどうしようって思ってた」と学生時代の記憶を語る人も。

 私の場合は、一時期「外に出たら横断歩道で転ぶんじゃないか……」と悩んで(?)いた。別にいいんだけど、なんか気になるんだよね。車とか通行人とかがいるところで、ずっこけるかもしれない…っていうの。その頃は生活が内にこもりがちだったから、外で起こる事態のあらゆることを想定して悶々としてた。外出が日常になってしまうと、そんなことないんだけどね。

 訪問してくる人っていうのも怖かった。これは仲間がいて、「居留守使ってるときに玄関をバンバン叩かれてホントに怖かった」「インターホン鳴らされても出たくなくて放置してたら、怒号が聞こえてきて怯えた」とか。よくわかる。相手がどんな人間かよくわからないときって、不気味な思いをするから。集合住宅に住んでいると、他の部屋の些細な物音や水音が、いちいち気になるっていうのもわかる。世の中の大勢の人に比べて、過度に敏感なんだろう。もっともそういう人間は、異変の察知も早いらしいから、仲間には気落ちしないでほしい。

フランスは19世紀が鉄板

 サティ、ドビュッシールノアール。19世紀末から20世紀初頭を生きた人たちですが、みんな好き。音楽と絵画というジャンルの違いを超えて、三人とも軽やかで仰々しくない、柔らかくて繊細な芸術を見せてくる。ばっさりくくると印象派。文学では、この頃にジュール・ルナールモーパッサンが登場している。この時期のフランス芸術界は、本当に豊作だよ。ちなみに生没年は

 サティ(Erik Satie)1866~1925

 ドビュッシーClaude Debussy)1862~1918

 ルノアール(Pierre Auguste Renoir)1841~1919

 ルナール(Jules Renard)1864~1910

 モーパッサン(長いので省略)1850~1893

 19世紀後半に集中しているのがわかる。

 この前哨戦として、文学ならヴィクトル・ユゴー(Victor-Marie Hugo, 1802~1885)の『レ・ミゼラブル』その他、絵画・音楽ならロマン主義があったわけで、天才を同時多発的に産みだすには、その土壌づくりが大事らしい。ここらへんは、もうちょっと勉強しないと。

そもそも動詞になっている

 comer…昼食を摂る(スペイン)

 philosophieren…哲学する(ドイツ)

 どっちも「それ一語で動詞にしちゃうか」って感じの単語だ。「ランチる」とか「哲(てつ)る」とかいうようなものでしょう、それ?なんというか、お国柄が出ているなあ。スペインの人にとって、朝・昼・晩のご飯は、しっかり区別する必要があるらしい。

 「朝食を食べる」ならdesayunar

 「夕飯を食べる」ならcenar

 日本語が「ご飯食べる」で済ませるところを、細かく分けないと気が済まないのね…。スペイン料理の店は多くないけれど、一回だけ行ったことがある。フランス料理よりもアットホームな雰囲気で、料理するお兄さんのガタイがとてもよかった。ドイツ料理の店は、すごく簡素で無駄がない。パンが、それを切ったまな板に乗ってそのまま出てくる。

 ヨーロッパをひとくくりにして考えるのって、やっぱ乱暴だわ。同じ白人でも全然違う、あの人たち。

ブランドは、維持する方が大変だ

 ブランド指定って「そこならある程度上質なものを提供してくれる」っていう安心感のことだと思う。「シャネルなら間違いない」とか「靴下専門店だから良質」などなど。一理あるんだけど……

 ストッキングをずっと靴下屋で買ってたんだけど、この間カネボウエクセレンスDCYを買ったら、こっちのほうが履き心地がよかった。伝線もまだしない。いつも指定してる物から離れてみるって大事だわー。それなりの物が買えるから老舗に行くけど、もっと安く良い物が手に入るなら、私は単純にそっちに流れる。

 確かに、人気作家の書くものってほとんど外れがないし、ブランド品の服は質が良くて長持ちする。その安心感を樹立するために、長い時間とコストがかかったこともわかる。でもね、それって永遠じゃないんだよね。ポッと出の作家が一瞬だけすごく面白い作品を書くこともあるし、無名のデザイナーのほうが、時にはもっといい物を作る。それでも「老舗なんだから負けていない」と言い続けて、あるとき負けが立て込んでいるのに気づいて、知らない内に苦境に陥ってた……なんていうのは、よくある話だ。ブランドはすごい。ブランドは実力がある。でも永遠じゃない。それをひっくり返してしまう「何か」や「誰か」は、いつどこから出てくるかわからない。ブランドは樹立することよりも、維持するほうが大変だ。

みんなの妄想の中身をヒアリング その1

 外に出ない上、さしたる趣味もないので、休日はすることがない。いろいろと妄想して一日を潰すこともある。妄想の中身を人と話し合うことってほとんどないけど、でも聞くと楽しいんだよね。

 女の子の妄想は、恋愛系が多かった。「めっちゃイケメンが学校に私を迎えに来て、「ねえ、あれ誰?」みたいに噂になる」とか「ハリウッド俳優に朝ご飯作ってあげてる」とか。あくまで妄想レベルだから許されると思うけど、性犯罪に遭っちゃうっていうのもあった。無理矢理されるのが好き、でも痛いのは嫌っていうのは、現実では難しいから想像で満たしておくのがベターだよねって同意した。

 しかし俳優との結婚生活って難しくないか?生活が不規則だろうし、休みがなかったり、逆に休みがあり過ぎたら不安だし。「彼が自室で台本読んでるところに入っていこうとしてすごく怒られるんだけど、後から優しく「さっきはごめんね」って言ってくれるの」「芸能界にいるから綺麗な人も多いだろうし、私なんかでいいのか心配……」と細部まで連想していた子は元気だろうか。相手は誰なのか聞かなかったけどマッチョが好きと言っていたから……EXILEの人かな?それとも鈴木亮平か?

 正直、筋肉は見て楽しむものと思っている。職業によっては(消防士とか)必要だけど、普通の生活においては実用性に欠ける。日常生活には、ダンベル持ち上げるシーンなんてないんだから。筋肉を保つためにジムに通うのも大変だろうし……そうか、マッチョとの結婚生活は、筋肉維持に取られる時間についても考えなあかんのか。でも妄想だから、そこまで考えなくていいのか。

陳腐な晴れ舞台

 卒業式のシーズンということで、袴姿の女の子たちがチラホラ。春ですねえ。皆さまご卒業おめでとうございます。

 とは言え、卒業式に特別いい記憶はない。綺麗なおべべを着て、大して仲良くもない人たちとだべり、袴が着崩れたのに気づかずに移動して、後から鏡を見て泣く。自分が思うほど祝福の言葉をかけてもらえるわけでもなく、何がおめでたいんだかと思いつつ晴れ着を着る。友達の少ない人間にとっては、周りが抱き合って泣いているときに、一人ポツンと立っているだけの空虚な日。だから、あの女の子たち(女性に限らず)の中にも、満たされない思いで卒業式を終えた子も多いんだろうと想像する。傍から見ればキラキラしているけど、それはどこまでも「傍から見れば」の話だ。本人のことは本人にしかわからない。そういう当たり前のことが、ただ「卒業のための晴れの姿でいる」という青春麗しい見かけの前に消え去りそうになる。そうして彼女たちに会えば「おめでとうございます」と当然のように声をかける。茶番と言えば茶番。

 でも、それが人の心に土足で踏み込まない礼儀なのかもしれない。もしも「友達がいなくて、卒業式寂しかったんじゃない?」なんて、関係の浅い人に言われたら、動揺し警戒するだろう。茶番は筋書きが決まっていて、どんなに陳腐であっても安心だけはできるようになっている。卒業はおめでたいもの、袴姿は晴れ舞台の象徴。その背後に何があるかなんて、別に想像しなくていい。ご卒業おめでとうございます。