日曜日、実際外には出たくない

 ドイツでちょっとだけ暮らしたことがある。日曜日は、どこもかしこもスーパーが閉まっていて「休日は食料調達すら難しいのね…」と思った記憶がある。「だから日本もサービス業に休みを!」と言いたいわけじゃない。それはちょっと待ってねって感じ。私だって土日にコンビニくらい開いててほしい。第一、今の日本社会を変えようとしても、大規模に変えるのは個人の力じゃ大変。

 そうじゃなくて日曜日に出歩く人間が減れば、あの人たち(店員とか働いてる人)だって仕事の合間に息がつける。すごい規模の小さい話だけど、そこから変えていかないといけないくらい日本の働き手は疲弊している。私は日曜日の昼間には外に出ない。通りは人で混雑するし、喫茶店は空いてないし……それくらいなら、辺鄙なところに小旅行でもしたほうがずっといい。そうすれば田舎も潤うし。それができないなら、家で過ごすのが人々のためだ。ひきこもりを糾弾する気にならないのは、外に出て誰かを煩わせるよりマシって思ってるからだ。

 人気のお店に並ぶ人より、自宅で本読んだり、ギター弾いたりしてる人のほうが創造性が高いと思うし、これからは「創造性」を人を評価する大事な要素にしてほしい…企業や学校が、じゃなくて個人レベルでも。シャネルのバッグもNYで人気のコーヒーのお店も、金さえあれば体験できる。この社会は、金で買えない価値っていうのをもっと真剣に考える時期に差し掛かっているし、もう少ししたら「消費以外に能のない人間を排除せよ」と言う人だって出てくるかもしれない。なんにせよ、日本が差しかかってるのは、何か大きな分かれ道なのだと思う。

女性蔑視は、男性への負担から起こるのではないかと


ドビュッシー(Debussy):アナカプリの丘 金子一朗(Ichiro Kaneko)

 ドビュッシーの繊細な出だしが好き。アナカプリの丘。

 

 学生らしき若い男から、すれ違いざまに「調子乗んな、ブス!」と言われたことがある。こういう「女を罵倒するオレ、女よりも地位上だから」みたいな奴、なんとかならないかなーと考えた。男性としての自分に自信があったら、こんなことしないだろうから、悪いのは「男らしくあれ」「男らしいとは女よりも強いということだ」「だから女を下に見ろ、相対的に上に立てる」という思考回路を生むような洗脳教育のせいでは。

 男の人が強い、なんて思ったこともないです。だって女の人たちが十分強いのを見てきたから。その間、男性は繊細に傷ついてたり、黙って怯えて誰かの影に隠れてた。それが悪いなんて私は思わない。もちろん、ひ弱な男はモテないけど、男性はモテることと強くあることさえ諦めれば、きっとかなり生きやすくなるはずだよ。

 「男らしくあれ、つまり女を相対的に下にするんだ!」っていう人が少しでも減ってくれるためには「男に強くある義務はない。それを放棄していい」というメッセージがまず大事だと思う。主夫は立派なひとつの職業だし、女性が自分の体型を気にするみたいに、マッチョな筋肉がないことを悩まなくたっていい。繊細でいいし、役立たずでもいい。女の人に、代わりに働いてもらいなよ、あの人たちは本当に頼りになるから。というより、男が役に立たないと気づいたその瞬間から、彼女たちは驚くほど頼りがいのある人々に変身するから「女はバカだから俺らが頑張らなきゃ」とか言わなくて大丈夫。

 と、通りすがりのクズ男に言いたかったけど、言えなかった。

空飛ぶ寿司が食べたい

 回転寿司なんていうのは、おとなしく回っているからつまらないんであって、ジェットコースターみたいに起伏の激しい通路を歩んでいてほしい。でなければ、女体盛りの進化バージョンということで、真ん中にバーンと裸の女の人が寝そべり、神々しく照らされてる周りで、薄暗くワインか焼酎でも傾けながら寿司を食べていたい。大人っぽいし、秘密結社の儀式気分が味わえる…かもしれない。

 お菓子の家を作れ、と言われたら、まずハーゲンダッツのアイスを積み上げて柱を作るなあ。で、ジェットコースター型に寿司が回っている家がいい。もうそれお菓子じゃないけど。ヘンゼルとグレーテルがまずもって近寄らないようなやつがいい。あと魔女がいない。

 そしてトイレ。便器はタルトの形をしていてほしい。壁面は、なんかアラベスク模様のゴージャスな壁紙がいい。男の人の小便器は……女の人の陰部の形でどうですか。でもこれ「ろくでなし子」さんあたりがもうやってそう。なんかエロチックな家になってしまいそうだが、現実にあるわけじゃないし別にいーや。

 アイスの柱くらいは、現実でもできそうだ。

心になんとなく残ったシーン

 最近読んだ本の中から、心がざわつくシーンを抜粋してお送りいたします。

『みんなのふこう 葉崎は今夜も眠れない』からはココ

なんて言うんだろう、飾り物にはぜったいならないような顔してんだから、少しは頭を使えよ、って言いたくなっちゃうタイプ。うちの親戚にもこういうおばさんいたなあ、と帰り道で思い出した。

  ドキッとする。男の人の本音って感じだ。美人じゃない=価値がないんだから、どっかでカバーしろやっていう思想。これ、自分が言われたらすごい惨めだろうなーって漠然と思う。どんなにフェミニストが頑張ったところで――と言っては彼女たちの努力を軽んじることになるのかもしれないけど、そうじゃなく圧倒的な事実として、美しさの人的価値に占める割合は、男性より女性のが大きいよね。でなきゃ美容産業は、ここまで大きくはならないだろう。

 もうひとつは『活版印刷日月堂』から、文化祭の準備の場面

部会で、小枝が「みんながちがう本の一節を選ぶのもいいが、活版印刷を使うのだから、全員『銀河鉄道の夜』のなかから好きな一節を選ぶのはどうか」と提案すると、「それなら教室全体を『銀河鉄道の夜』をイメージした世界にしよう」「壁面を夜空に見立てて栞を貼ろう」「部員は印刷所の植字工をイメージした作業服のコスチュームにしよう」などといろいろ案が出て、どんどん話が進んだ。

 もちろん作者の理想でもあるのだろうけど、私もこんな高校生活が送りたかったよー……と悲しくなった。だって、こんなポンポンアイデアが出てきて、先生もそれを止めないなんて天国じゃん。私なんか、何言っても相手にされなかったわ。「無理。却下」で終わり。羨ましくて、読んだとき疲れていたから不覚にも泣いた。

ポリティカル・コレクトネスを憎むようになった話 その一

 「心の病気で不登校のかわいそうな子です、仲良くしてあげてね」と先生に押しつけられた女に、8年間搾取されてた。時間とか、精神的エネルギーとか、労力とか。「私はかわいそうなんだから、誕生日に私が欲しい物を買って送れ」というたかりも「私の好きな本をあげるから、感想を聞かせて」という押しつけも「あいつ(私)から貰った漫画、マジ意味わかんない」と、私にアカウントを教えたツイッター上で呟くことも、彼女は「うつ病のかわいそうな子だから」ということで許された。かたや私は「きちんと学校に通える健常者に生まれたことを感謝して、メンヘラ女に尽くせ」と言われ続けた。

 「メンヘラはあぶないよ、機嫌を損ねると死んでやるとか言い出すし」という言葉を真に受けて、「あの子が自殺して私のせいにされたらどうしよう……」とずっと怯えていた。田舎でできた関係だったから実家は知られているし、万が一、家族に危害が及ばされたら嫌だとか、いろいろ考えていたら絶交が遅れた。

 その当時、習い事(バレエ)をしていて、私は先生に一対一で教えてもらっていた。所詮プロにはなれないし、普通のクラスにも付いていけないからという理由で、ゆるゆるした個人レッスンだったのだ。そうしたら、メンヘラは何を思ったのか

「そのレッスンを見学させて。あなたが躍るとこ、見てみたいの。素人なのは知ってるから、クオリティは期待してない。そこは安心して」

 と言ってきた。キモい、と思った。先生に迷惑をかけるのは嫌だったし、怖くて不気味だった。なんでそんな図々しい要求ができるのかわからなかった。周囲に相談したけど「病気っていうのはそういうものだ。病気なんだから仕方ない、その子だって苦しいんだ」と言われた。

傘では守り切れない悲しみがあるって知ってた?

 今日は雨だった。ひどい降りではなかったけど、革靴が濡れたのにはヒヤッとした。革がだめになったら元も子もないと、予定を取りやめて家路を急いだくらいで。ヒカルの碁で「人類が月に行ける時代に、なんで傘だけ傘なんだろう」みたいな台詞があったと思う。ホントそう。

 傘を差すだけで、足元まで守ってくれるようにならんもんかな。最近では腕時計にICチップを仕込んだり、耳から垂らすうどんみたいなやつが端末になってたりするんでしょ、なんで傘だけ傘なの。進歩しないの。肝心なところ(人々の生活に関わる一番身近な部分)がなんで進化しないのかようわからんわ。傘の研究をしますって言っても、研究費が出ないのかしらね。

 傘の内部に付いた感知器が身体図を把握して、足元までガードしてくれる……そういうの、できないもんかしらん。とりあえず頭の中の「あったらいいな、こんなもの」リストに載せておく。

 幸い靴は乾いてくれた。靴のメンテナンス技術にも革新が欲しい。前に靴専科という修理屋に、雨で染みのできたブーツを出したら、綺麗なキャメルだったのが、貧乏臭く白んでいた。文句を言うと「インクを抜くんだから仕方ない」の一点張りで、それだったら全体を均一に水で濡らす方が、よっぽど安上がりじゃないかと思った。実際、全部を水浸しにしてしまえば色ムラはなくなる。メンテナンスに金をかけるだけ馬鹿らしいが、そんな人が増えたら彼らが仕事を失うのは自然なことであって、「仕方がない」って技術刷新を諦めてる場合じゃないんだよなあ。

好きなクラシック


ベートーヴェン ピアノソナタ 第14番 「月光」


月の光 ドビュッシー

 「月」は日本の歌(俳句とか和歌とか)に頻繁に出てくる、非常に愛されているモチーフなわけですが、西洋でも題材にならないわけじゃない。ドビュッシーの「月の光」、ベートーベンの「月光」…。月を神聖視するのはアラビアの風習だったから、そっちの世界を探ればもっと出てくるんだろうけど、とりあえずキリスト教世界から。

 中国の古筝にも有名な曲はありそうだけど、好きなのは「何日君再来」で、別に自然が対象ではないのだ。東アジアの自然観っていうのは、すごく好きなんだけどね。悪い意味での人間味が全然なくて、ひたすら無我の境地で自然と一体化している感じが。