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本当の愛、本物の愛

 本物の愛って何なのか、考えてる。アクセサリーのような恋愛ではなく、ただの結婚でもなくて、相手のことを理解し合って結ばれる、そういう真面目な何か。ファッションではない何か。

 本物があるならば、偽物を定義しなくちゃならないと言われるだろう。偽物の愛?なんだろう。それは自己満足のための愛で、相手のことを考えない身勝手な愛情や愛情表現のことだろうか。詐欺師が金目当てにやる結婚詐欺も、美人を連れまわしてお飾りにして捨てる男も、自分のことがひたすら好きなのだ。それを愛とは呼ばない。精神的で、徹頭徹尾、個人的なもの。愛し合うことは、二人きりでするもので、そこに他人や他人の目が、介入する余地はない。そんなところだろうか。

 精神的=高いもの、肉体的=低いもの、という考え方は主流だし否定しない。ただ、愛する二人が本当に結ばれようと思ったら肉体の手を借りてセックスする、それは卑しいことなんかでは全然ない、と思う。裏を返せば、セックスは、愛する人と結ばれるためにするものであって、それが目的になるのは堕落なのだ。だから、性欲だけで動いても、そこに愛なんてない。とある二人が寝たくらいで相思相愛の仲になったりしない。順序が逆だ。

 愛する人とは、楽しみを共有する以上に、苦しみを理解してほしい。「愛する二人のために」なんてフレーズは近頃、娯楽の宣伝にしか使われていないけど、本当は、かけがえのないたった二人が、手を取り合って人生を共にする、そういう営みであるはずなんだ。本物の愛は、そこらにごろごろ転がってはいないけど、探すのをやめるのは人生に何も期待しないのと同じだ。敢えて言う。人の生きる意味は愛であると。

 書いていて気恥ずかしいと、ちょっとだけ思いつつ、それでも書いた。