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散歩はいい、素晴らしい

 何かストレスフルな出来事があったら、知っている道をひたすら歩くことにしている。江戸時代までは、あてもなくフラフラ歩くのは隠居老人くらいで、まともな若い人間のやることではなかったらしい。そう言われても、歩きたいときがあるんだよ。用がないのに出歩くな、という風潮はあまり好きじゃない。

 散歩って瞑想的な行為でもなんでもなくて、お金のかからない気分転換でしかない。風景が移り変わっていけば、心の中もくるくると変わっていくものだから、ネガティブな出来事とも少し距離を取れる。自分のペースで歩けるのもいい。電車だと、気持ちがまだ追いついてないのに目的地に着いてることがよくある。

 だから、散歩は素晴らしい。他人にペースを乱されないし、健康にいいし、日常の些末な落ち込みから解放される。エスカレーターより階段を選ぶことがあるのも理由は同じで、健康志向というより、ただ自分の速度で移動したいのだ。

 じゃあ、いいことがあった時はどうするのか。やっぱり歩く。電車やバスの中で歌ったりリズムを取ったりしたら完全に「変な人」で、一緒に乗った高校生のカップルに馬鹿にした顔で覗き込まれるかもしれないけど、道行く人々は一瞬しかすれ違わないので問題ない。人と人との距離も遠いので、浮かれて踊ろうが歌おうが、控えめにやる限り、誰も気にしない。

 歩くことはいい。それが隠居老人っぽいというなら、誰もが老けていくんだから、その予行練習をしているんだと言おう。ウェーイとか言ってお金を使う遊びしか知らないような人たちは、どんな風に老けていく予定なんだろう?君らね、散歩したほうがいいよ、散歩。純粋な散歩。