どうして思想が大事なのか

 教養や知性を馬鹿にするのはいいけど、その責任を取るのが未来の自分だってことは、ちゃんと覚えておきたい。そうでないと、いい加減おとなになってから、変な宗教にはまって、そこにすがってしか生きられなくなる気がする。とある新興宗教に世話になっている女の人は、もう子育てを終えたような女性なのだけれど、「天照大神って誰?」と言っていた。そうして、その宗教に結構なお布施をしているみたいだった。

 何を信じていいのかわからない人は、とりあえず世俗的な価値観を信仰して、そうじゃない人は宗教か政治活動に傾倒している。今まで出会った大人って、大体その2種類に分けられる。前者のおばさんは、年をとって冬ソナにはまり、若い子と同じに恋愛資本主義に生きる。後者のおばさんは、○○学会や共産党での活動に精を出す。なんでこうなるの、と思う。

 きっと、思想を生み出す側が仕事してこなかったのが悪いんだろう。正しいものが廃れていくって嘆くのは簡単だけど、その「正しいもの」が、今まで何を与えてくれたか。何もくれなかったじゃないの。そういう冷淡な声が聞こえてきそう。

「教養も知性も、結局カネの力に負けるし、どんなに年相応に慎ましく暮らしていても、誰も褒めてはくれない。若い綺麗な、金のある子ばかりがちやほやされてるじゃないの。だったら私たちも美魔女とかやるし、韓流追っかけもするわよ」

 ということなのかもしれない。

 それでも、なにを信じるべきなのか、あるいは疑うべきなのか、真剣に問いかけることは大事だと思う。無知は犠牲を伴うから。お金も時間も思考能力も持っていかれる。「難しいことはわかんない!」は、若いうちは許されても、年を取ったらただの痛い中高年になる。思想は何も与えてくれないにしても、少なくとも奪ってはいかない。