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昔の日本のリアル

 『逝きし世の面影』を読んでる。イザベラ・バードら、西洋化の進む日本の新旧の風景を書き留めた人々の資料が大量に読めて助かる。でもって、いかに「昔は○○だった」調の話が誤りであるかわかる。

 例えば言葉遣い。男言葉と女言葉の区別は、ほとんどなかった江戸時代は、女でも自分のことを「おれ」と呼んでいたらしい。女湯では「オイ番頭さん、おいらの上がり湯がないよ」「そこに汲んどきましたぜ」とか会話をしていたという記録もあり(※1)、慎ましく美しい大和撫子なんて、今も昔も幻想でしかないことがわかる。まあ、そうでしょうね。ああいう「わたくし、~しましたのよ」みたいな言葉遣い、庶民の文化ではないと思う。それが似合うのは、昭和の銀幕スターくらいでしょ。

 夏に、ほぼ全裸で子どもを抱いているちょんまげ姿の男性の絵もあって面白い(※2)。日本の男が育児をしないとかいうのは嘘です。そういえば、ドイツの公園でも似たような風景を見たことがある。半裸の男の人が子どもを抱いて、所在なさげにブランコに座っていた。いいなあ、ああいう光景。働くのをやめて、子どもを抱っこしよう!運動をしたいくらいだ。間抜けに見えるって人もいるだろうけど、平和なところにしかそれが生息しないことを思えば、間抜けの多い社会は非常に健全なのだと言える。

 ハリスは日記に「日本を開国して外国の影響を受けさせて、それが日本人にとっていいことになるのか?」と書いている(※3)けれど、どうだろうね。国の地位は上がったかもしれないけど、庶民の生活はむしろ悪化したのかもしれない。それをどう取り戻していくのかを、これから考えないと。

※1渡辺京二『逝きし世の面影』平凡社、2015、p372

※2同上、p392

※3同上、p121