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言葉だけ話せても仕方ないことがある

 街で、子どもに英語で注意している母親を見たことがある。英語教育の一環なんだろうけど、要は日本語の不得手な母親に育てられているようなもので、逆効果だろうなと思った。日本にいて英語が話せることは、日本にいて日本語が話せる以上の利益を産むことはない。日本語がおぼつかなかったら、それは難民と同じだ。

 言葉だけ話せても仕方ない、と思うことがある。英語圏のミュージシャンが「日本語話せます。ボクのCD買ってね、バイバーイ」と言っているのをテレビで見て思ったことといえば「そんなことなら英語で言って」だ。他にも、テレビの取材に対してフランス人が拙い英語でつっかえながら話すのを聞いた時の感想も「フランス語でいいから、もっといいコメントしてほしい」。そのときの話題は、日本人が何か授賞して、その女性は "French...have to learn...from japanese..." みたいに答えていたが、フランス語ならきっと「これこれこういうところが素晴らしいと思います、この分野における国際化が進むのは私たちフランス人にとっても刺激的なことであり云々」とか言えた人なんだと思う。

 大事なのは話す中身なのだ。海外の人とコミュニケーションが取れるのは、確かにひとつの能力だけど、私なら子どもを英語屋にはしたくない。それよりも「その言葉を使って何がしたいか?」のほうがずっと大事だろう。仕事ができたり、自分の意見をまずしっかり持つことのほうが、はるかに価値がある。今は翻訳アプリも優秀らしいから、中身のない語学屋は、世の中から消えていくだろう。