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正論と、その底にある感情

 広く浅く付き合うよりも、一対一の関係のほうがおもしろい。ひとりの人間にいろんな側面があることとか、その人の中にあるいくつかの層みたいなものが見えてくるからだ。初対面の相手に許せる表面の下に、簡単には言いたくない思いの層が隠れていて、その下には隠しておきたいものがあって。家族でも友人でも、踏み込んでほしくないところっていうのはあるもので、それは相手が深い層に入ってくることを拒んで、そこを手つかずの場に留めておきたいのだと思う。たいていは自分の罪悪感とか自己嫌悪とか、よくないもの。

 下の方の層には、正論なんかなくて感情がある。これが辛かった、悲しかったっていう体験とか過去の記憶。そういうものを引きずって人は生きる。で、それが「こうするべき」に変わる。「いじめはしてはならない」「浮気はすべきではない」「よい親であるべきだ」…なんでもいいけど、根本にあるのは理屈じゃなくて感情だ。「いじめられると苦しい、苦しい思いはしたくない。そういう自分を嫌いたくない」そういう本音は、別にいい。これが「いじめは決して許してはならない、犯罪であり厳罰が必要だ」になってくると、それは論点のすり替えだよねという気がする。感情の処理は、他者に押しつけるものじゃない。

 もちろん、倫理的に正しいことを考えていくのは大事だ。社会のルールも、直接感情から生まれたりはしない。でも、人間が多層な面を持つ感情的な生き物であることを、もうちょっと考慮してもいいんじゃないか。個人の仕事は、国や法律を変えることじゃなく、自分と向き合うことにあると思う。