「いじめ」がわからなかった

 小学校の頃、靴を隠されたことがある。お道具箱の中身を、液体のりで水浸しにされたことがある。靴の中に、水がぶちまけられていたこともある。これは嫌がらせであり、広義にはいじめなんだろうけど、当時はそれがわからなかった。そんな陰湿な形で自分に悪意を向ける人がいる、という可能性が理解できず「なんでこうなったんだろう」と不可解に感じただけで終わっていた。いま思えば、誰かがやったんだろうな。

 それがいじめだと気づいたあとも、嫌われていたのがショックだという感触はない。なんでそんな地味なことするんだろう、とだけ思う。面と向かって殴られたり罵倒されたりするほうが、ずっと苦痛じゃないか。別にいいよ、あの程度のこと。靴は別の場所ですぐ見つかったし、濡れていても普通に履けた。道具箱の中身は汚れたけど、大したものは入ってなかった。繊細な子だったら、あれで学校に来るのが怖くなってしまったりするのか。たぶん当時の自分なら、悪意に対して無神経だったから、席に葬式じみた花瓶が置かれていても「邪魔だな」と思って寄せて、それっきりだったろうし、机に「死ね」と書かれていたとしても「落書きするなら私の机に書くな」と思って終わりだったかもしれない。地味ないじめの意味は、似たような思考回路の奴にしか通じない。

 こうして書いてみると奇跡的に高い自己肯定感に救われた話にしか見えない。いじめの定義ってどこで決まるのかよくわからないけど、自分のように気にしない人間がいるから、「そんなことで悩むお前が悪い」という論調もまかり通ってしまうんだろうか。でも、それは正しくない。問題は、全部いじめる側にある。放課後に一人残って、他人の物を汚しているゴギブリみたいな神経が治療されるためにも、そういう行為は明るみに出たほうがいい。いじめられるのも辛いだろうけど、自分を加害者に貶めてまで生きていこうとする精神のほうが根が深いだろう。いじめっ子は、いじめた相手からの哀れみなんて一番欲しくないんだろうけど、私は積極的に憐れんでいきたい。彼らが自分の惨めな姿を認めるようになるまで。