欲求とお金の使い道

 小さい頃、うちの家庭の財布には余裕がなかった。その影響だろう、今でも娯楽にお金を使うのは気が重くなる。将来のために貯めておいたほうがいいんじゃないかって思いにいつも捕らわれて買い物が楽しめない。子どもを育てるときには、金の心配はさせたくないな……と思う。母だってきっとそう思っていただろうけど、子どもは敏感なもので、財布をひねくり回す母親の困った顔とか、聞こえてくる両親の言い争いから、自分の家が裕福なのか、そうじゃないのかくらい察してしまう。大人になって自分で稼いだお金でさえ豪快に使う気になれないんだから、身に染みついた罪悪感は、地味に根が深い。

 だから破産できる人っていうのは、ある意味すごい。自分の欲望に忠実に生きて、使えるものは使い果たしてしまう破天荒さは見上げたものだ。欲求とか欲望っていうのは、長い間抑圧し続けると、しまいには自分でも何がしたいかわからなくなって「無欲に生きることが善良な市民としての務めだ」と自分を欺くようになったりするのに。解脱でもしない限り、完全に無欲なんて無理だ。それは修行の末に辿り着く境地であって、善良な市民に手が届くような代物ではない。無欲を自称するのは高慢だ。

 ただ、無駄な欲望っていうのも無数にあるわけで、本当にしたいことや欲しい物とそれらとの見分けがはっきりつかないから厄介だ。世の中にスターバックスが心から好きな人なんてさしていなくて、みんな「そこにいるオシャレな私」を買っているように、イメージに振り回されて出費してる人って多いよなあ、と思う。自分に酔うための出費なんて始めたら際限がないのに、皆それで苦しんでいるような気がする。ブランドのバッグを買ったり、ミニマリストに憧れて無印で部屋を統一したり。なんか、一種の思考停止じゃないか、それって。考えることを他人に替わってもらうなら、奪われるものは自分が思う以上に大きいと思う。もっとも、金だけでなく既に思考能力まで持ってかれてる人には、もう何を言っても届かないんだろうけど。ちなみにコンビニのテイクアウトのコーヒー、十分おいしいよ。