陳腐な晴れ舞台

 卒業式のシーズンということで、袴姿の女の子たちがチラホラ。春ですねえ。皆さまご卒業おめでとうございます。

 とは言え、卒業式に特別いい記憶はない。綺麗なおべべを着て、大して仲良くもない人たちとだべり、袴が着崩れたのに気づかずに移動して、後から鏡を見て泣く。自分が思うほど祝福の言葉をかけてもらえるわけでもなく、何がおめでたいんだかと思いつつ晴れ着を着る。友達の少ない人間にとっては、周りが抱き合って泣いているときに、一人ポツンと立っているだけの空虚な日。だから、あの女の子たち(女性に限らず)の中にも、満たされない思いで卒業式を終えた子も多いんだろうと想像する。傍から見ればキラキラしているけど、それはどこまでも「傍から見れば」の話だ。本人のことは本人にしかわからない。そういう当たり前のことが、ただ「卒業のための晴れの姿でいる」という青春麗しい見かけの前に消え去りそうになる。そうして彼女たちに会えば「おめでとうございます」と当然のように声をかける。茶番と言えば茶番。

 でも、それが人の心に土足で踏み込まない礼儀なのかもしれない。もしも「友達がいなくて、卒業式寂しかったんじゃない?」なんて、関係の浅い人に言われたら、動揺し警戒するだろう。茶番は筋書きが決まっていて、どんなに陳腐であっても安心だけはできるようになっている。卒業はおめでたいもの、袴姿は晴れ舞台の象徴。その背後に何があるかなんて、別に想像しなくていい。ご卒業おめでとうございます。