フェミニズム恨み言

 小・中学校時代って、わかりやすい贔屓をする先生がいたけど、その構造ってとっても勉強になる。嫌味じゃなくて本当に。一回の授業で手を挙げて指名される回数を、いちいち記録してたことがあるんだけど、こんな感じ。(当時中2)

 かわいい子…10回

 バカだけど頑張ってますアピールのうまいかわいい子…8回

 私…ゼロ

 一回の60分の授業で、こんだけ差があるんですよ。補足すると、私は上記の彼女たちより成績が良かった。しかし可愛げは皆無であった。この授業を担当していたのは男の先生だけど、女の先生でもだいたい統計結果は同じになった。

 要は私が引いた札は「勉強ができるブス」であり、当時はこれが最悪の肩書であることに気づかなかっただけだ。人間は有能なだけで十分だって本気で思ったし、フェミニズムにも傾倒してたから、かわいい女の子がチヤホヤされるのは、そこが未開の地である証拠だと信じていた。きっと、勉強ができる私のほうがはるかに愛され賞賛されて、認められる世界があるはず。ゲスで時代遅れなのは、私を認めない連中のほうだって。「女らしい」「かわいい」は、吐き気のするような媚びにしか見えなかった。それでズボンばかり履いて、わざとがさつな座り方をしたりした。

 でもよくよく考えてみたら、そういう人間って目障りでしかない。男でも、成績がいいだけでキモい奴はモテないのだ。それは社会が未開なんじゃなくて、そいつが単に気持ち悪いのである。

 今では、白い総レースのブラウスもピンクのリボン付フレアスカートも着られるようになって、職場でもそのほうが褒められる。あの頃、必死で有能であろうとしたときよりもずっと生きやすい。相変わらず、女らしい人ばかりが求められて、誰も仕事の能力なんて重視していないって気がしてなんだか疲弊する。