曖昧な関係

 「咲いたら花だった。吹いたら風だった。それでいいではないか」。高橋元吉の詩、「なにもそうかたを…」の一節だけど、これは時々、身に染みて思うこと。さらりと書かれているけど、何事も型にはめて考えようとする人たちに囲まれた、自然主義者の叫びのように響く。

 「好き」の言葉で彩らなければならないんだろうか。「好きっていうほど好きじゃないけど、無関心っていうには気に入ってる」人との関係を?あるいは「嫌いではないし幸せになってくれたらいいと思うけど、あえて近寄りたいとは思わない」という気持ちを「敬遠」っていう言葉で片づけるのは、果たして正しいことなんでしょうか。曖昧なものを、そのままにしておく余裕のない人間なんか嫌いだ。「私たちって親友だよね」と関係を縛られたその時から、私はその人から逃れたくなる。

 隣にいたいと思う人を、必ずしも恋人と呼ぶ必要なんかなくて、彼氏や彼女っていう概念に縛られて「だから○○しなきゃいけない」なんて思うようになったら、それはもう違和感と不自然でいっぱいの繋がりを人と持つことになる。嫌です、そんなの。

 「あなたって何も決めようとしない。私たちどういう関係なの」と言われても「見ての通り、こんな感じ」と返すだけ。言葉にして人を縛ろうとすることの暴力性に、人は気づかない。気づこうとしない。定まらなくて浮いているものが気になってたまらないから、自分が安心するためだけに、人を縛り付けようとする。そうして、そういう人を見るたびに曖昧さを武器に生きていこうと思う。