ファッションについて言いたいこと

 外見と内面が無関係だって言うには、あまりにも不可解なことが多すぎる。だって人は「美しい」「醜い」という言葉を、心に対しても容貌に対しても使う。同じ言葉を使えるっていうことは、同じ次元で考えられるってことだ。そうじゃないか。どうして人の内面と外見を、同じ表現で褒めたりけなしたりできると思うんだよ。

 韓国は整形大国と言われているけど、私の記憶では確か、顔の美しさが道徳的善さと結びついてる、みたいな発想が強い国なんだよね。前世の行いがよいと美人、とかそんな感じだっけ?だから、不細工の善人ってものを(頭では理解していたとしても)生活レベルでは受け入れていないんだと思う。単純に外見偏重じゃなく、それが心的態度と結びついてると思えばこそ、あんなに執着するわけだよね。

 たぶんフランスもそう。お隣ドイツに比べると、ファッションへの関心が強すぎるくらい強いけど「ファッションには、その人の哲学が現れる」と信じている節がある。そうなってくると、身だしなみひとつ整えるのも命がけだ。

 でも、私はそんな風には考えていない。外見は平凡でも、おもしろい人はいるし「おもしろい」という言葉は外見にはなかなか使えない。あるいは「頭がいい」とか「神経質」とかいう単語だって、外見には使えない。容貌はその人の一部分しか語らない。道徳とも哲学とも深い関係はない。見てくれはあくまでも見てくれで、それ以上の何かじゃない。同じ言葉で語れるからって、その本質まで同じだったりはしない。