文化ができるまで

 人類のこれから、なんていうととても広い話題過ぎてどうにも手に負えないのだけれど、そうじゃなくて先進国(と自称している国々)のこれからだったら、ちょっとは考えられる気がする。機械の進歩、医療の発達、家事時間の軽減、みんな素晴らしい。素晴らしいけど、それによって空いた時間で何をするのかは、まだ手探りって感じがする。あらゆる病気や貧困が駆逐され、お金のために働く必要もなくなったとしよう。そうしたら「そもそもやりたいことがない」人が直面するのは、きっとただの虚無なんだ。

 娯楽や芸術産業は、これから隆盛することはあっても衰退することはないだろうと踏んでる。世の中が便利になって、労働や家事の時間が減っていく、その進化は止まらないのだと考えれば、余暇の使い道が当然一番の関心事になるわけで、そこで「付加価値なんてものはくだらない。時計は時間がわかればいいし、食べ物は食えればいい」なんて言っていたら置いていかれる。人々が求めるのは、デザインであり、そこに伴う物語だったりするから。

 質の高いものを理解し支援する消費者(というか享受者)を育てていけば、そこに文化ができる。だから、生産しなくたって、何を選んで享受しているかっていうところに消費者の責任があって、今の世の中と誰もがダイレクトに繋がっているんだっていう感覚を忘れたくない。上質な何かが消えるのは、それを評価してこなかった自分たちのせいなんだと自覚できる人間でいたいし、いま目の前にあるものも、自分たちが支えることで残っていくんだという自負も持っていたい。