夢想家メルシーベビーのブログ

相談所の語学オタク

「女としての」という厄介な修飾のために

 あの有名な殺人事件――というのは酒鬼薔薇でも宮崎勤でもなく、東電OLの事件だ。エリートとして働いていた女性が、夜は娼婦をしていたという事実。そして殺されたという事実。

 被害者女性のことは何も知らない。推測できるのは、きっと女性としての価値に苦しんでいた人だろうということ。女の子でも、頑張って勉強していい大学に入り、総合職に就いて結果を出せる時代。そう吹き込まれて、それを信じて努力して、たぶんどこかで気づいてしまったのだと思う。

「仕事ができたところで「愛される」ようにはならない」と。

 そうなんだよね。

 学生の頃、そこそこ成績がよかった自分は、出来の悪い生徒が可愛がられているのを見るのが嫌だった。「私の方が優秀なのに」「誰も褒めてくれない」みたいな怨念を持っていた記憶がある。仕事ができることと、人として愛され恵まれることは、まったく別モノだということが理解できなくて、とにかく有能ならいい、他には何もいらないと信じていた。

 信じていたものが崩れたとき、人はその喪失を取り戻そうとあがく。東電OLは、女性として扱われること、今まで自分を女として認めなかった男たちから金を取ることで、なんとか心のバランスを保っていた……のかもしれない。あくまで推測だ。

 女性(あるいは男性)であることの呪縛から逃れられない人々は、泥々していて生々しくて、そうして自分にも似ているところがあるから辛くなる。自分だって、女として十分に認められているかっていうとそんなことはない。それを時々不満に感じたりもする。

 でも、わたしは彼女と違って娼婦にはならないと思う。その線引きが一体どこにあるのか、はっきりとは答えられないけど。