メルシーベビーの日常ブログ

結婚相談所の語学オタク 

表現することは晒すこと

 川谷絵音ってすごいな。「私以外、私じゃないの。当たり前だけどね」っていう歌詞、天才的に何も言ってない。何も心に来るものがない。

 なんかこう、チャラくて口のうまい人の典型っていう感じがする。薄っぺらいのに、なんかいい気分になるっていう。例えばRADWIMPSなんかの、語彙と単語数の多さとは、確実に一線を画している。

 書いたものや作ったものを誰かに見せるのは、それだけ相手に自分を晒すリスクを取ってるっていうことなんだよなあ。私見だけど、頭のいい(つまり優等生で秀才タイプの)人間は、表現者になんてならない。だって自分がどんな人間か、思った以上に作品の中に晒されてしまうものだから、見知らぬ人にそこまで自分を開示したりできないって思うのがまともな人だ。私がものを書いて暮らすのは、ちょっとアレな人間だからだ。

 誰であれ、普通に立っているだけでも、その雰囲気で「なんとなく頭よさそう」「暮らし向き悪そう」「優しくて好い人そう」「ヤバい世界の人かも」くらいの見当はつくわけで、目的を持って作ったものが、さらにその人の性格や知性を映し出してしまうのも無理もない話かなあと。

 そうして自分の文章を読み返せば、曖昧で冗長で、無責任で飽きっぽい感じがする。つまりそういうことなんだろうと思ってる。