メルシーベビーの日常ブログ

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日本の礼儀作法はすなわち宗教であるという説

あの国では、宗教は礼儀にほかならない、あるいはまた、宗教は礼儀にとってかわられているのである

ロラン・バルト『表徴の帝国』「平身低頭」

あの国、とは日本のことだ。

ビジネスマナーでも冠婚葬祭の礼儀作法でもなんでもいいが、どうしてこんなに煩雑なのかと思うことはある。封筒の宛名の後の「行」を消して「御中」にするとか、お辞儀の角度は30度と45度と90度があって、状況に応じて使い分けるとか。

だけど考えてみるに、そこには宗教的な執念があると仮定してみるのもいい。日本は無宗教であるというよりも宗教と日常生活があまりに一体化しているのだ。食事の前に「いただきます」と言うあの作法は、元を辿れば神道に行き着くとはいえ、今やそれは完全にマナーであり礼儀である。

だから、礼儀を無視する人間は異教徒に近い扱いを受ける。異教徒とは、よそ者であり不穏な部外者だ。自分たちの世界に馴染もうとしないアウトサイダーなのだ。日本で受け入れられようと思えば、些末な礼儀を宗教的儀式として受容しなければならない。

もちろんこれは仮定の話だ。ロラン・バルトに賛同して言ってみただけで、絶対に正しいわけじゃない。

それにしても、箸という道具ひとつ取っても、その背景に宗教が潜んでいる国なのだから(口に触れるほうが人の世界、反対側が神の世界であり、その二つを繋げるから「橋」=「はし」=「箸」と呼ばれる)、これは一理ある説だ。

そうしてみると、日本は無宗教でもなんでもないことになる。むしろ礼儀に化けた宗教が国を支配している。